2016年7月11日月曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(7)ギマランイス Guimaraes

6月10日昼食後は
ヴィアナ・ド・カステロからギマランイスに行きました。

ギマランイス Guimaraes は初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケス生誕の地として知られ、
町の入り口の壁には
「ここにポルトガル誕生す AQUI NASCEU  PORTUGAL 」と記されています。

「ここにポルトガル誕生す」と書かれた壁 2016.6.10

その壁の横の通りにはアズレージョで飾られたお店が並んでいます。
このギマランイスの旧市街は2001年に世界文化遺産に登録されました。

左端に「ここにポルトガル誕生す」の言葉が書かれた壁があり、街並みがそのまま続いています

ギマランイス城の手前にブラガンサ公爵館 があります。
15世紀初めに建てられたもので、
現在は政府の公館として国賓などの接待場として使われています。
レンガの煙突はフランス・ブルゴーニュ地方の影響を受けています。

ブラガンサ公爵館

ブラガンサ公爵館から丘を登って行きますと、
10世紀に建てられたギマランイス城があり、28mの塔の上からはギマランイスの町が見えます。

ポルトガル初代国王アフォンソ・エンリケスは、1110年この城で生まれました。

ギマランイス城

ギマランイス城の塔から見た街並み

ギマランイス城の下には
ロマネスク様式の小さなサン・ミゲル教会 Igreja de Sao Miguel があります。
12世紀に建てられたこの教会でアフォンソ・エンリケスは洗礼を受けたといわれています。

サン・ミゲル教会


聖母のアズレージョでしょうか・・・思わず見惚れてしまいました (旧市街の通り)


雰囲気のある旧市街を歩きながらオリベイラ教会に行きました。

ギマランイスの旧市街

オリベイラ教会の前にあるアーチは、
レコンキスタ戦争であるサラードの戦いでムーア軍を破った勝利記念として
1342年に造られたロマネスク様式の建築物です。(下の写真)

そのアーチが完成すると
横にあるオリーブの木が突然葉を出したという伝説があり、
この教会は「オリーブの樹の聖母教会」
ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会 Igreja N. Sra. da Oliveira 
と呼ばれるようになりました。

ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会・・・教会前左側に伝説のオリーブの樹、その右横にアーチ


ギマランイスではオレンジ色の花を描いたベルを買ってきました。

アズレージョのベル


次はこの後訪れた
アズレージョで有名なサン・ベント駅です。


2016年7月7日木曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(6)ヴィアナ・ド・カステロ Viana do Castelo

6月10日朝、サンチャゴ・デ・コンポステーラを出発して
ポルトガルに向かいました。

これからは
北ポルトガルから首都リズボンに向かって南下していきます。

スペインからポルトガルに入った瞬間
・・・走行中のバスから撮影したためかなりブレてしまいました
2016.6.10 午前10時24分



まず初めに、ポルトガル Portugal について

正式国名 ポルトガル共和国 Republica Portuguesa

政治体制 大統領を元首とする立憲共和制

面積 約91,985K㎡ 日本の約4分の1
人口 約1,037万人 日本の約12分の1 (2014年)

首都 リスボン Lisboa

公用語 ポルトガル語、ミランダ地方はミランダ語も公用語

宗教 カトリックが97%

ポルトガルの国旗

気候 地域差が大きく季節の変化も著しい
一般的に6月から9月までが乾期
大西洋側は緯度のわりに気温が低く、寒暖の差が少ない
中部は夏の気温が高く、南部は典型的な地中海性気候

世界遺産は文化遺産が12件、自然遺産が1件

主要産業はオリーブ、小麦、ワイン、コルク
オリーブオイルの生産高は世界第7位、ワインは世界10位
日本が輸入するコルクの2/3はポルトガル産

時差は日本より8時間遅れ、スペインより1時間遅れとなる

ユーラシア大陸西端に位置し
ヨーロッパで最初に航路で中国や日本など東アジアとの接触を持った国でもある



そんなポルトガルの最初の訪問地は北ポルトガルの
ヴィアナ・ド・カステロ Viana do Castelo です。

1253年にアフォンソ3世が町を建設し、
リマ川が大西洋に流れ込む河口に開けた所です。

私達は最初に
標高249mのサンタ・ルジア山の展望台に向かいました。

途中、嘆きの聖母が祀られているアゴニア教会 Igreja da Senhora da agonia が見えました。
毎年8月にはロマリア祭(嘆きの聖母祭)が行われ、
民族衣装で着飾った人々が町に溢れ、ポルトガル全土から巡礼者が集まります。

アゴニア教会

サンタ・ルジア山の上は公園になっており、
頂上にはネオ・ビザンチン様式のサンタ・ルジア教会 Igreja de Santa Luzia があります。
ミサ中でしたが、静かに中を見て来ました。

サンタ・ルジア教会

教会横にあるエレベーターで展望室に行きますと、
リマ川と大西洋、
そして「リマの女王」と呼ばれる美しいヴィアナ・ド・カステロの町が一望できます。

16世紀にはこの港から大海原に乗り出す者が多く、
大航海時代、町は船や船員の供給地として繁栄しました。
町に残る多くの文化遺産はこの大航海時代に建設されたものが多いそうです。

大西洋に注ぎ込むリマ川(右が大西洋)とヴィアナ・ド・カステロの町

ヴィアナ・ド・カステロは
現在、ポルトガル海軍のドックを持つことから主要産業は造船業であり、
またヴィーニョ・ヴェルデというワインの産地でもあります。


大西洋

次にサンタ・ルジア山を下りて旧市街に向かいました。

観光の中心となるレプブリカ広場 Pr. da Republicaに面しているカテドラル、
旧市庁舎、ミゼリコルディア教会などを見て回りました。
  
14世紀から15世紀にかけて建てられたバロック様式のカテドラル


16世紀に建てられたゴシック様式の旧市庁舎


ミゼリコルディア教会

ミゼリコルディア教会の前では自転車に乗った巡礼者が写真を撮っていました。

自転車でのサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼
・・・ホタテ貝のマークが自転車の荷物についています


その後、町を散歩しながらランチの場所まで行きました。

この日6月10日は「ポルトガルの日」で祝日でした。
町は色とりどりの布で飾られていましたが、
その飾りが「ポルトガルの日」のためなのか、
この町の特別なお祭りのためなのか、結局分かりませんでした。

アズレージョを沢山見ましたが、剥がれている物も多いです
・・左端は全て、右端は半分剥がれています


アズレージョ風のテーブルクロスとナプキン・・・可愛いレストランです


旗のような飾りが町中に翻っていました 2016.6.10 14時13分


次回は
ヴィアナ・ド・カステロの町から1時間ほどの所にあるギマランイスに寄ってから
ポルトに向かいます。



2016年7月4日月曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(5)サンチャゴ・デ・コンポステーラ Santiago de Compostela

6月8日はゴゾの丘から
サンチャゴ・デ・コンポステーラに行き、新市街のホテルに宿泊しました。

翌日は9時にホテルを出発して
今回の旅行で私にとって最大の目的地である大聖堂に向かいました。

その途中アラメダ公園に寄って公園から大聖堂を眺めてきましたが、
大聖堂のある旧市街は1985年ユネスコの世界遺産に登録されています。

アラメダ公園から朝靄に煙るカテドラルを望む 2016.6.9

旅行中晴天の日が続いていた北スペインですが、
肝心のサンチャゴ・デ・コンポステーラは曇り空。

9世紀に建てられた小さな教会は増改築を繰り返し、
11世紀から13世紀にかけて
スペイン最高のロマネスク様式の大聖堂 Ctedral として完成しましたが、
16世紀から17世紀にかけて外観がバロック様式に改められました。

大聖堂は現在修復工事中でファサードの一部は覆いがかけられていましたし、
巨匠マテオ作の華麗な「栄光の門」も工事中で
その姿を見ることができませんでした。

でも良いこともあります。
今年はカトリックの特別聖年で
いつもは閉まっている「免罪の門」が開いていました。

巡礼の最終目的地 サンチャゴ・デ・コンポステーラのカテドラル

「聖年」とは
西暦1300年に始まったカトリックの行事で、
この年にローマに巡礼すると特別な赦しを与えられるとされました。
当初は50年に一度でしたが、
現在は特別聖年を除き、25年に一度です。
近年では世界中で指定された教会がこの巡礼の対象となっています。

サンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂では
聖ヤコブの日7月25日が日曜日と重なる年も聖年とされます。

現在の教皇フランシスコが
2015年12月8日から2016年11月20日までを「いつくしみの特別聖年」と定め、
ローマのサンピエトロ大聖堂の「聖年の扉  Porta Santa」はじめ、
世界中の「聖年の扉」がある教会で門が開かれます。

「いつくしみの特別聖年」のポスター・・・カテドラルのあちこちに張ってあります


キンターナ広場に面している「免罪の門」

それで
サンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂でも
「免罪の門 Puerta del Perdon =聖なる門 Puerta Santa」が開かれたというわけです。

私達もこの「免罪の門」くぐって聖堂に入っていきました。

サンピエトロ大聖堂の装飾豊かな門と違い、
こちらは素っ気ないほどシンプルな門ですが、
めったに入れない門ですので、この日に来られて良かったです。

私達も「免罪の門」通って聖堂の中へ


金色に輝く彫像や装飾に囲まれるようにヤコブの像がある主祭壇

大聖堂に入ってからは
主祭壇裏の階段を上って聖ヤコブの像の背中に触れてきました。
そして祭壇横にある階段を下りて地下墓地 Cripta に行きました。
聖ヤコブとその二人の弟子が埋葬されています。
聖ヤコブの棺は銀です。

どちらも私達が訪れた時は人が少なくて並んで待つこともなかったのですが、
少し後にその前を通った時は沢山の人が列をなしていました。

聖ヤコブと弟子が埋葬されている地下墓地

12時の巡礼者のミサに参加するため
ボタフメイロが良く見える場所に添乗員さんが案内してくれました。
11時頃席に座り、ミサを待つ間に添乗員さんが2~3人ずつカテドラル内部をガイドしてくれます。

ミサの始まる12時近くになると教会内は
巡礼者や私達のような旅行者でいっぱいになり、立っている人が沢山いました。

ミサは当日参加している巡礼者の国の言語で進められ、
この日もイタリア語やフランス語など数か国の言葉で述べられました。
日本語はありませんでしたので、日本人の巡礼者はいなかったのでしょう。

ボタフメイロの準備・・・右側奥が主祭壇

ボタフメイロとは銀色の巨大な香炉のことで、
主祭壇手前の交差廊のドームから吊り下げられ
ガリシア語で「煙を吐き出すもの」という意味だそうです。
高さ1.6m、重さは80Kg もあります。

ボタフメイロ

この香炉に40㎏の香と炭を入れて焚き、
下から8人でロープを引っ張って振り幅を大きくしていき、天井に届くほど振れていきます。
それを座っている席のすぐそばで見ることが出来ました。

ボタフメイロが使われだしたのは11世紀頃と言われ、
大聖堂に辿り着いた巡礼者は疲労し不潔な状態の人が多く、
その臭いを消すために、香を入れて焚きだしたのが始まりとされます。

始めはゆっくり前後に振られていきます


天井近くまで振り上げられます

お香の匂いが教会を満たし、煙がうっすらと周囲を覆います


ミサの前後に
カテドラル博物館、聖遺物の祭壇などに寄りましたが、
博物館ではルーベンスやゴヤの下絵によるタペストリーを見、
人物の表情がゴヤらしいと思いました。(撮影禁止でした)

博物館のバルコニーから赤い屋根の町を見下ろす


博物館のバルコニーからオブラドイロ広場を見下ろしますと、
四方八方から石の道が延びています。
その道は広場の中央で一か所に集まり、巡礼街道の終着点となっています。

ここに辿りついて
大の字に寝転がる巡礼者、抱き合う人、交互に記念撮影する人たち、
目的を達成した人達の心はいかばかりのものでしょう。

オブラドイロ広場・・・中央左側、石の道が交差する所が巡礼街道終点 
右上北側パラドール 手前右東側カテドラル


巡礼街道終点を表すホタテ貝のシンボル


さてここで
サンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼の歴史と
現在の様子について記しておきたいと思います。



キリストの死後、
イエス・キリストの12使徒の1人であるヤコブ(スペイン語名サンチャゴ)は
スペインでキリスト教の布教活動をしていたが、
紀元44年エルサレムに呼び戻され、その地で首を切られて殉教した。
キリストの復活を知っているユダヤの王はヤコブの復活も恐れ、
彼の遺骸を埋葬することを許さなかった。

彼の死を悼んだ弟子たちは彼の遺骸を舟に乗せ、
風の吹くままに任せたところ、ガリシアの海岸にたどり着いた。
その舟はそのまま川を上りヤコブの遺骸は行方不明になり、
長い間その存在も忘れ去られていった。

813年に星の光に導かれた羊飼いがヤコブの墓を発見。
その墓が見つかった場所にアルフォンソ2世が教会を建立し、
コンポステーラ(ラテン語の Campus Stellae =星の野)と名付けられた。

というのが一般的な民間伝説で
墓の発見者やコンポステーラの名前の由来には諸説ある。

サンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼の記録は
951年のものが最古で
当初ガリシア地方に限定されていた巡礼は
次第にピレネー以北に拡大され、
11世紀にはヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まり、
最盛期の12世紀には年間50万人を数えた。

その後さまざまな事情で巡礼は大きく減少し、
1980年代フランコ政権が崩壊した後、本格的に復活する。

現在巡礼者数は毎年20数万人に上る。
巡礼者の多くは徒歩(全体の約86%)で、自転車を使う人や
少数ながら中世のように馬やロバを使う人もいる。

信仰のためだけではなく、観光やスポーツ、
単なる目標達成のために歩く人もいる。

巡礼者は様々な道を辿るが
ピレネー山脈から終着点まで780~900㎞の距離で
一日20~25Km歩くとして、すべて徒歩だと1か月以上かかる。

サンチャゴ・デ・コンポステーラに到着すると
巡礼証明書(コンポスーラ)が貰えるが、
貰える条件は
徒歩100Km以上、自転車で200Km以上。

「免罪の門」の上のヤコブ像

2004年から2015年までを集計したデータによると、
巡礼の月別では
8月が一番多く、全体の約20%、一番少ない月は1月で全体の0.3%

年齢別
1位30~60歳未満50.1%、2位30歳未満36.2%、3位60歳以上13.7%

男女別
男性56.2%、女性43.8%

職業別
1位会社員20.9%、2位学生19.3% 技術者、自由業に続いて5位退職者11.1%

国別では
1位スペイン54.7%、2位ドイツ7.7%
イタリア、フランスが続き、日本は25位で0.4%、12年間で7,747人。


巡礼の道は
4つの精神的な区間に分けられると言います。
①自分を振り返る ②自分を突き詰める ③自分から離れる ④再生する

この区間を通して巡礼者は多くのものを得て行くことでしょう。


大聖堂見学の後は自由行動となり、
私達はホテル近くのスーパーマーケットで買い物をしていったんホテルに戻り、
再度旧市街に行き、夕食を頂きました。
場所は夫が事前にネットで調べておいてくれたバル Bar です。

新鮮な魚介類が美味しいと評判のお店で
スペインの夕食には早い7時に行きましたが、
座りたかったカウンターはいっぱいで、ショーケースが見える壁際の席に座りました。
カウンター越しにショーケースを見ながら
新鮮なアジやマテ貝を選んで調理して貰いました。

どれも美味しくて安く、
海に近いサンチャゴの美味を堪能できました。

サンチャゴ・デ・コンポステーラ旧市街のバル
美味しい海産物を頂きました 2016.6.9  夜7時08分


次回はポルトガルに入国です。



2016年7月2日土曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(4)アストルガ Astorga

6月8日レオンの大聖堂を出た後、
近くのサン・イシドロ教会 Basilica San Isidoro に行きました。

この教会はセビーリャの大司教イシドロに捧げられた教会で
1062年着工、12世紀中頃に完成しました。

レオンのサン・イシドロ教会 2016.6.8


サン・イシドロ教会の主祭壇

教会内部にある王家の霊廟では
12世紀に描かれたフレスコ画が大変素晴らしく、
天井や壁はイエスの福音や聖書の話、
カレンダーなどでいっぱいです。

フレスコ画の一部は
日に当たって剥げてしまったり退色した部分もありましたが、
大部分は綺麗に残っていました。
部屋の環境が良かったことや修復作業が功を奏しているようです。

写真撮影が禁止で残念でしたが、
付属のショップで天井画の一部を模したものを買ってきました。

「レオンの1年(12か月)」と名付けられたカレンダーで
実物のフレスコ画も同じように色鮮やかでした。

10月の豚は餌をたっぷり与えられ、
美味しそうに太った豚は11月に殺されています。
当時の生活ぶりが分かります。

天井画を模したお土産品「レオンの1年」


サン・イシドロ教会の後は
アストルガへ。

レオンからアストルガへ行く途中バスの中から巡礼者を何人も見ました 
2016.6.8  午前11時52分


12時半ごろアストルガに到着。
アストルガ Astorga はレオンから西に50Kmほどの所に位置し、
サンチャゴ巡礼路上にある人口12,000人ほどの町です。

ここの大聖堂の隣にガウディ設計の司教館 Palacio Episcopal があります。
1889年建設を開始しましたが、
依頼した司教が亡くなり、次の司教とは意見が合わず、
ガウディ作としては未完のものとなりました。
現在は巡礼博物館として公開されています。

左の茶色い建物が大聖堂・・・右がガウディ設計の司教館

司教館を出たところで
ドイツから来た若い女性の巡礼者たちに会いました。

私達と一緒の記念撮影をお願いしたところ快く応じてくれました。
何人もの人たちとの撮影にもずっと笑顔でした。

巡礼者というと中年以降の人達を想い浮かべますが、
2015年のアンケートによると
巡礼者の職業別では学生は2番目に多いとのことです。
長いお休みがあるという事が理由の一つだと思いますが、
意外でした。

ドイツから来た若い女性の巡礼者たちと 2016.6.8 


巡礼者の身分証明となるクレデンシャル(巡礼手帳)を
見せてもらいました。
宿泊施設に泊ると公式のスタンプが押され、
集めたスタンプが巡礼の証明となります。

巡礼証明書・・・スタンプが沢山押してあります


アストルガにも巡礼宿があちこちにあります。

フランスの巡礼宿は予約優先で1泊2,000円前後、
スペインの巡礼宿は先着順で基本無料で
寄付として400円くらいだそうです。

宿泊場所がなくても
警察や市役所を訪ねると
大抵なんとかなります。

アストルガの巡礼宿


この日の到着地サンチャゴ・デ・コンポステーラに行く途中
セブレイロ峠に寄りました。

この峠はサンチャゴ・デ・コンポステーラ到着前の最後の難所で標高1,300mあります。
疲れもたまっており、歩いたり自転車ではかなりきつい場所となります。

セブレイロ峠にある可愛い教会

セブレイロ峠から2時間ほどで
歓喜の丘(ゴゾの丘)に着きました。

小高い丘に思ったより大きな像が建っています。
2人の巡礼者がサンチャゴ・デ・コンポステーラを指さし、
遠くに見えるカテドラルを見て喜んだ様を表しています。

歓喜の丘(ゴゾの丘)に建つ巡礼者の像


次回はいよいよサンチャゴ・デ・コンポステーラです。