風邪を引いて引き籠っていた間、
本棚に残っていた「百人一首」を読んでいました。
もうずいぶん忘れてしまって、
上の句を読んですぐ下の句が出てくる歌は少なくなってしまいました・・・
本棚に残っていた「百人一首」を読んでいました。
もうずいぶん忘れてしまって、
上の句を読んですぐ下の句が出てくる歌は少なくなってしまいました・・・
◆
私の実家では
お正月はかるた取り(百人一首)をするのが習わしでした。
百人一首は母の実家で盛んだったそうで、
兄弟姉妹そろってのかるた取りの様子や
叔父達の好きな歌などをよく話してくれたものです。
その中で母の弟である叔父が好きだったという歌。
「あひみての 後の心に くらぶれば
昔は物を 思はざりけり」
権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ 906年~943年)が詠んだ歌。
敦忠は左大臣藤原時平の三男で、942年従三位中納言になりますが、
翌年病気のため三十八歳でなくなります。
三十六歌仙の一人で、琵琶の名手でもありました。
歌の意味は
『夕べあなたと契りを結んだ後の恋しさが募るこの苦しさに比べたら、
何とかしてあなたに会いたいと思っていた頃の恋の辛さなんか、
何も思っていなかったのと同じようなものでした・・』
仕事熱心でハンサムで
艶聞の多かったらしい今は亡き叔父が好みそうな歌です。
◆
母も私も好きな歌が沢山ありますが、
その中から一首。
かの有名な清少納言(生没年不詳)の歌です。
ある夜、藤原行成(ゆきなり)が清少納言の部屋に遊びに来ていましたが、
朝まで一緒にいることなく
宮中で翌日用事があると言って帰って行きました。
翌朝行成から来た手紙には
「ゆうべはもっと一緒にいたかったけれど、一番鳥の鳴き声にせきたてられて帰りました。」
と書いてありました。
清少納言はすぐ返事を書きます。
「ゆうべ鳴いたというのは函谷関のにわとりでしょう。
そんな嘘の言い訳は私には通用しませんよ。」
函谷関(かんこくかん)のにわとりとは、
昔中国の斉の孟嘗君が秦から逃れる際、
一番鶏が鳴いた後にしか開かない函谷関にさしかかったのが深夜であったため、
食客ににわとりの鳴き声を真似させて通過したという故事のことです。
この返事に対して行成はまた手紙を送ります。
「あれは函谷関のことではなく、
恋しい人に逢うという名前の逢坂(あふさか)の関のことです。
あなたと私は男女の関係ですよ。」
その言葉とは裏腹に
一晩一緒に過ごすことなく帰って行った行成に対し、
清少納言が書き送った歌が
「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ」
『まだ夜が明けてもいないのに、にわとりの鳴き声を真似て人をだまそうとしています。
たとえ函谷関の番人をだませても、
男と女が逢うという名の逢坂の関守であるわたしは決してだまされませんよ。
あなたが逢坂の関を通ることは許しません。(男女の間柄になることは許しません)』
やれやれ・・・・・・・
お正月はかるた取り(百人一首)をするのが習わしでした。
百人一首は母の実家で盛んだったそうで、
兄弟姉妹そろってのかるた取りの様子や
叔父達の好きな歌などをよく話してくれたものです。
その中で母の弟である叔父が好きだったという歌。
「あひみての 後の心に くらぶれば
昔は物を 思はざりけり」
権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ 906年~943年)が詠んだ歌。
敦忠は左大臣藤原時平の三男で、942年従三位中納言になりますが、
翌年病気のため三十八歳でなくなります。
三十六歌仙の一人で、琵琶の名手でもありました。
歌の意味は
『夕べあなたと契りを結んだ後の恋しさが募るこの苦しさに比べたら、
何とかしてあなたに会いたいと思っていた頃の恋の辛さなんか、
何も思っていなかったのと同じようなものでした・・』
仕事熱心でハンサムで
艶聞の多かったらしい今は亡き叔父が好みそうな歌です。
母も私も好きな歌が沢山ありますが、
その中から一首。
かの有名な清少納言(生没年不詳)の歌です。
ある夜、藤原行成(ゆきなり)が清少納言の部屋に遊びに来ていましたが、
朝まで一緒にいることなく
宮中で翌日用事があると言って帰って行きました。
翌朝行成から来た手紙には
「ゆうべはもっと一緒にいたかったけれど、一番鳥の鳴き声にせきたてられて帰りました。」
と書いてありました。
清少納言はすぐ返事を書きます。
「ゆうべ鳴いたというのは函谷関のにわとりでしょう。
そんな嘘の言い訳は私には通用しませんよ。」
函谷関(かんこくかん)のにわとりとは、
昔中国の斉の孟嘗君が秦から逃れる際、
一番鶏が鳴いた後にしか開かない函谷関にさしかかったのが深夜であったため、
食客ににわとりの鳴き声を真似させて通過したという故事のことです。
この返事に対して行成はまた手紙を送ります。
「あれは函谷関のことではなく、
恋しい人に逢うという名前の逢坂(あふさか)の関のことです。
あなたと私は男女の関係ですよ。」
その言葉とは裏腹に
一晩一緒に過ごすことなく帰って行った行成に対し、
清少納言が書き送った歌が
「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ」
『まだ夜が明けてもいないのに、にわとりの鳴き声を真似て人をだまそうとしています。
たとえ函谷関の番人をだませても、
男と女が逢うという名の逢坂の関守であるわたしは決してだまされませんよ。
あなたが逢坂の関を通ることは許しません。(男女の間柄になることは許しません)』
ああ言えば、こう言う。
気が強い清少納言のはっきりした拒絶が心地よいです。
この歌の後、
行成は
「逢坂の関は誰でも簡単に通れる関ではないか」
つまり、
「清少納言はどんな男でも相手にしているのではないか」
という歌を詠んだそうです。
やれやれ・・・・・・・
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