2016年2月10日水曜日

キューバ旅行記 (4)ハバナ~その③

ハバナ湾に続く運河の海底トンネルを通って旧市街の対岸に来ました。

世界遺産にも登録されているモロ要塞です。

 モロ要塞 2016.1.25


かつてこのモロ要塞と対岸のブンタ要塞は太い鎖で繋がれ、
ハバナ港に通じる運河を管理していました。

しかし、1762年イギリスがモロ要塞を襲撃して1年間にわたって立てこもり、
事実上ハバナはイギリス領となります。
1年後、スペインはフロリダと引き換えにここを取り戻します。

モロ要塞は要塞としての必要性が無くなってからは
牢獄として使用され、現在は灯台の役割を果たしています。

モロ要塞から見るハバナの街並み


ところで、モロ要塞でも見かけた青い観光バスは
私たちが乗ったバスと同じタイプのものですが、
どこに行ってもたくさん走っていました。
このバスは中国から寄付されたものだそうです。
長距離観光バスやスクールバスはほとんど中国製とのことです。

クラシックカーは部品をいろいろ交換しながら使っていますが、
その部品も中国製や韓国製のものが多いそうです。

青いクラシックカーの前の中国製の観光バス


その後また海底トンネルを通って旧市街と新市街へ。

旧市街


旧市街


アメリカの国会議事堂を模したという旧国会議事堂(カピトリオ)を見ながら
革命広場へ向かいます。

旧国会議事堂(カピトリオ)


新市街にある革命広場は
メーデーなどの国家評議会議長の演説の場として知られています。

広い革命広場


広場の周りにある内務省の壁にはチェ・ゲバラ、
情報通信省の壁にはカミーロ・シエンフエゴスの顔のモニュメントがあります。

内務省の壁にある有名なゲバラの肖像


チェ・ゲバラは有名ですが、
私はカミーロ・シエンフエゴスを知りませんでした。
彼はキューバ革命で
フィデル・カストロやゲバラと一緒に重要な役割を果たしたそうです。

フィデル・カストロの肖像画や銅像などはどこにも飾られていませんが、
本人が「自分が生きている間は肖像の類は一切飾るな」と言っているそうです。
ゲバラやシエンフエゴスはもう亡くなっているので、肖像画や像があちこちにあるそうです。

情報通信省の壁にあるカミーロ・シエンフエゴスのの肖像 2016.1.25


革命広場からバスで旧市街に戻り、
ココナッツの形をした可愛らしい黄色いココタクシーに乗ってコッペリア公園に行き、
アイスクリームを食べてホテルに戻りました。

夕食はヘミングウェイが通った「フロリディータ」へ。
入ってすぐの左側のカウンターの隅にヘミングウェイ実物大の像が設置されています。
ヘミングウェイはこの席で砂糖抜きのダイキリ「パパ・ヘミングウェイ」を飲んでいたそうです。

レストラン「フロリディータ」のカウンターにあるヘミングウェイの像
~「地球の歩き方」より

もちろん私たちの夕食にもダイキリが出ました。

レストランを出た後は
オプショナルツアーに参加する私達夫婦と男性一人女性一人の計4人とガイドさんで
「キャバレー・トロピカーナショー」に行きました。


「キャバレー・トロピカーナ」は
ハバナで最も有名なキャバレーで、2,000人も収容可能な野外劇場です。
メインステージと左右の高いところにもステージがあり、
沢山のダンサーが次から次へと出てきて踊り、
男女の歌手も歌いながら踊ります。

キャバレー・トロピカーナのショー
~「地球の歩き方」より

とても華やかで、賑やかなショーです。
リオのカーニバルのような衣装を身にまとった
十代と思しきすらりとしたスタイル抜群のダンサーは、
この劇場付属の学校の生徒さんで、
試験に合格した人だけがステージに立てるそうです。

なんだか社会主義国とは思えない空間でした。

ショーは21時頃に始まり、
4人に1本ハバナ・クラブのラム酒5年物と
ラム酒を割るコーラとナッツが各自付きます。

私ともう一人の女性はまったくアルコールがダメですし、
男性陣二人も明日の観光を思えばそんなに飲めるわけでもなく、
ほとんど残ったラム酒はガイドさんにあげました。

ショーが終わってホテルに着いたのは0時頃でした。

ハバナで宿泊したホテル「メモリーズ・ミラマール」


私達はハバナで2泊しましたが、
観光できたのは正味1日。

見どころ満載のハバナは
せめて3日くらいは欲しかったというのが正直な感想です。


次は
世界遺産の「シエンフエゴス歴史地区」に行きます。



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