「熊野古道と伊勢神宮」旅行記の2回目です。
熊野古道の大門坂から熊野那智大社へと道は続きます。
熊野那智大社は
那智山の中核を成し、
熊野十二所権現を祀っています。
那智山とは
那智大滝周辺地域を指します。
日本書紀と古事記及び
熊野那智大社伝によると、
神武天皇が東征中に熊野を通った時、
那智の山に光輝くものがあり、
探し当てるとそれは「那智大滝」だったそうです。
その大滝を大国主命(おおくにぬしのみこと)の御神体として祀り
滝のそばに社殿が創建されたと伝えられています。
しかしながら
古代よりの大滝を神とする自然崇拝から、
滝の神を祀った社殿が滝近くに建てられたとするのが自然、と考えられています。
そしてその社殿は
のちに現在の山の上に移されました。
熊野那智大社伝によると、
神武天皇が東征中に熊野を通った時、
那智の山に光輝くものがあり、
探し当てるとそれは「那智大滝」だったそうです。
その大滝を大国主命(おおくにぬしのみこと)の御神体として祀り
滝のそばに社殿が創建されたと伝えられています。
しかしながら
古代よりの大滝を神とする自然崇拝から、
滝の神を祀った社殿が滝近くに建てられたとするのが自然、と考えられています。
そしてその社殿は
のちに現在の山の上に移されました。
八咫烏は
神武天皇一行を道案内するよう遣わされたものとされ、
一行が無事大和に入られた後、
八咫烏は那智大社に戻ったと伝えられています。
4世紀頃インドの僧が那智大滝の滝壺から観音像を見つけ出し
草庵を結んで安置したのが始まりとされ、
988年に御幸された花山法皇が、
西国三十三ケ所第一番札所として定めました。
織田信長の焼打ちにあった本堂は
1590年豊臣秀吉により再建されました。
那智大滝(なちのおおたき)が姿を現します。
那智大滝は
古代より自然信仰、平安時代以降は観音信仰の中心的な聖地として
崇拝されてきました。
大雲取山や烏帽子岳の原生林を源流とする日本一の大滝で、
日本三大瀑布の一つです。
この那智の滝、栃木県の華厳の滝、茨城県の袋田の滝とされています。
その中でも那智の滝の落差は日本一で、133mあります。
朱色の三重の宝塔と大滝が並び、写真を撮る人が多くなります。
再びバスに乗ってJR紀伊勝浦駅に戻り、
ワイドビュー南紀に乗って伊勢市に行きました。
次回は伊勢神宮です。
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