6月13日、霧のロカ岬を出発してシントラに向かいました。
シントラの街も霧が降りていて幻想的な雰囲気でした。
シントラ Sintra は
リスボンの西28Km、シントラ山系にあります。
深い緑の森の中に王室を中心として貴族や富豪の別荘が点在し、
イギリスの詩人バイロンが「エデンの園」と称えました。
1995年この美しい景観が世界遺産に登録されています。
霧に包まれたシントラの街 2016.6.13 12時04分
上の写真と対面にあるのがシントラの王宮です。
王宮は1385年ジョアン1世によって王家の夏の離宮として建てられましたが、
16世紀にはマヌエル1世が増築し、装飾が加えられて豪華絢爛になり、
イスラム建築の復古もなされました。
イスラム建築の復古もなされました。
外見はシンプルですが、中はかつてのポルトガルの栄華を垣間見ることができます。
シントラの王宮~右の円錐形の煙突がシンボルとなっています
王宮には
タイルで覆われ、水盤のあるアラブの間や
24歳の独身で戦死したため王位継承を混乱させた王「ドン・セバスチャンの間」、
ムデハル様式の礼拝堂など多くの見どころがありますが、
その中から有名な部屋をいくつかご紹介したいと思います。
王宮から見たシントラの街・・・絵のようです
まずは「白鳥の間」です。
下の写真はその天井ですが、
王冠を首に着けた27羽の白鳥がそれぞれ違ったポーズを取っています。
これは1662年、
イギリスのチャールズ2世に嫁いだ娘カタリーナのために
ジョアン4世がその幸せを願って描かせたものです。
10代で結婚することが多かった当時、
27歳で嫁ぐ娘を思う父親の気持ちが
生涯伴侶を変えない白鳥を27羽描かせることで表現されています。
白鳥の間天井画
次は「カササギの間」です。
カササギの間・・・イスラム風です
天井一面にカササギが描かれていますが、これには訳があります。
ある日、
ジョアン1世が女官と口づけをしているところを王妃に見つかり、
「深い意味はなく、善意でキスをした」と言い訳をします。
王妃は何も言わなかったそうですが、
瞬く間に女官たちの間に噂が広まってしまいます。
怒った王は女官たちをカササギ(おしゃべり鳥)に見立て、
女官と同じ数の136羽描かせ、
足元には王妃の出身地ランカスター家の紋章のバラを掴ませました。
カササギの間の天井~136羽のカササギ
王宮には厨房があり、その煙突が正面から見えますが、
中庭からは間近に見ることができます。
ムデハル様式の中庭から見る厨房の煙突
やはり私にとって一番印象に残るのが「紋章の間」です。
狩猟の様子を描いたアズレージョで囲まれた部屋のドーム型の天井には
27個の紋章が描かれており、王室や貴族のほかヴァスコ・ダ・ガマの紋章もあります。
「紋章の間」・・窓の明かりが反射してアズレージョをうまく撮ることができませんでした
「紋章の間」のアズレージョ
その他にも
緻密な細工で作られた移動式の祭壇や
様々なタイプのタイルがありました。
折りたたんで移動できる祭壇
多様なタイルの一部
王宮を出た後はシントラの街を散策しました。
シントラのお土産横丁
エッグタルトの美味しいお店があるとガイドさんに聞きましたので、
探してお店に入ると、番号札を持った人でいっぱいです。
どうやら有名なお店らしく、時間がない私達は諦めて、
次にガイドさんが連れて行ってくれたお店で買うことにしました。
エッグタルトを購入したお店
お土産用とその場で食べる分を購入。
サクサク軽い生地と甘すぎないクリームがとても美味しいです。
お土産用に包んであるエッグタルト(パステル・デ・ナタ)
~包装紙には王宮が描かれています
帰国して頂いたエッグタルト・・少しつぶれてしまいました
美味しいエッグタルトを食べた後、バスに戻り
リスボンへ帰りました。
次回は旅行記最終回となります。
リスボンでの最後の時間を過ごした
ケーブルカー乗車やファドのレストランについてお伝えしたいと思います。
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