2016年7月28日木曜日

TEEJの紅茶

昨日一人で東京に行き、
2年半ぶりくらいに会う友人と新宿のホテルで待ち合わせをしました。

私が高速バスで行くのでターミナルの新宿にしてもらったのですが、
その高速バスの発着場所が「バスタ新宿」と名前と場所を変えて新しく出来ていました。

今まで新宿駅西口にあったものが南口の甲州街道を挟んだ向かい側に出来、
高島屋の隣になりました。

JRの鉄道、各社の高速バス、タクシーなどが2階~4階で発着し、
前と比べて広くて綺麗になり、断然使い易くなりましたし、
東京の観光案内所や外貨両替所があり、外国人の利用者も多く見かけました。

高速バスターミナル「バスタ新宿」~wikipediaより

いつものことながら、
友人と会うと、時間がジェット機のように過ぎて行ってしまいます。
そして話は多岐にわたり、あっという間に私の帰る時間となってしまいました。

友人は田園調布に住んでいるのですが、
私は彼女と会う数日前に
田園調布にある紅茶屋さんで紅茶を買ってきてくれるよう頼みました。
「もし知らないお店だったり、家から離れているようだったら、
わざわざ出向かなくていいので・・」と
但し書きを付けました。

そうしましたら、そのお店は友人の家に近くにあり、
私への手土産として
ティーバッグの詰め合わせを既に買ってあるというではありませんか・・・・

「まあ、なんていう偶然」とお互い驚きながら、
私はアールグレイの缶を一つ頼みました。

と言いますのは、
私が山荘から時々行く茅野茶輪「たてしな日和」で頂いたアールグレイが
香り豊かで美味しいのです。

それで店主の女性に紅茶の購入先を聞き、
on-line ショップもあると分かり、購入しようと思っていたところ、
ショップのある田園調布に住んでいる友人と会うことになり、頼んだというわけです。

TEEJのアールグレイの缶


友人によりますと、
このお店「 TEEJ ティージュ」はホテルやレストランに卸していて、
デパートなどの売り場には置いてなく、田園調布の店舗に来たお客さんだけに直接販売し、
あとは on-line ショップだけという事でした。

友人は贈り物によく使い、
プレゼントしたお相手からも好評で、また買ってきて欲しいと頼まれるそうです。

友人からもらったTEEJのティーバッグの詰め合わせ・・・ダージリン、アッサム、アールグレイ

アールグレイは
柑橘類ベルガモットの表皮から抽出した香油を吹き付けた着香茶ですので、
お好みが分かれると思いますが、私は大好きな紅茶です。

そして見つければ買ってくる「福砂屋」のカステラ。
今回も高島屋の地下で売っていましたので、購入してきました。

福砂屋のカステラ


きめが細かくしっとりした「福砂屋」のカステラは大好きなスィーツです。

いつ頂いても美味しい~


山にいてもネットで何でも買えるのですが、
こうしてデパ地下で買い物をするのも、私には楽しみの一つです。
今回もあれこれと買ってきました。

カナダに親戚のいる他の友人が言っていましたが、
その親戚の方は
日本のデパ地下には本当にびっくり、感心するそうです。
凄く綺麗で、美味しいものが多岐にわたり沢山あり素晴らしい・・と。
私も行くたびにワクワクします。。。

次回はもっとゆっくり買い物をしたいなと思っています。



2016年7月26日火曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(12)アヴェイロ Aveiro

6月11日
ランチの後、バスで1時間ほどの所にある
おとぎの国のような運河の街アヴェイロに行きました。

アヴェイロの街の中心地から離れたところに旧駅舎があり、
街の風景を描いたアズレージョがその白い壁ととてもマッチしていて青空にも映えていました。
新駅舎は横に新設されており、列車の発着はそちらで行われます。

アヴェイロの旧駅舎 2016.6.11 午後2時36分








街の風景

街の人々の様子



アヴェイロ Aveiro は
ポルトと次に行くコインブラの間に位置し、
入り組んだ潟が内陸に大きく食い込んだ自然の良港として16世紀に繁栄した街です。

しかしながら大暴風雨で海とつなぐ水路が砂で塞がれ、街は一時さびれてしまいます。
19世紀に街を襲った大暴風雨によって再び水路が開き、漁業を中心に立ち直ります。
現在の街の主な産業は漁業と牧畜で、
潟で取れる海藻肥料が埋め立て地の地味を肥やし、酪農が盛んになりました。

アヴェイロの中央運河

街の中心にある中央運河に沿って美しい家々が並びます。

肥料用の海藻を集めるモリセイロと呼ばれる船が観光用もあり、私達も乗ってきました。
ポルトガル語と英語で説明してくれます。
短時間の乗船ですが、運河から見る街並みが美しく、乗った価値がありました。

観光用モリセイロ(船)

モリセイロは弓のように反り返った舳先をもち、船体は極彩色の絵で飾られています。

舳先の綺麗な絵


アヴェイロの街並み・・・アズレージョが綺麗です

お店の壁のアズレージョ


次はまた1時間ほどバスに乗って
学生の黒いマントが特徴のコインブラ大学のあるコインブラと
宿泊地のブサコ宮殿ホテルに行きます。


2016年7月25日月曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(11)ポルト Porto ④ ボルサ宮とサン・フランシスコ教会

6月11日、
美しい本屋「レロ・イ・イルマオン」の後はポルトの街を抜けて
ボルサ宮に向かいました。

ポルトの街  2016.6.11  午前10時40分


坂道が多く、情緒溢れるポルト


ボルサ宮の前にはエンリケ航海王子の像が建っています。

ボルサ宮・・・分かりづらいですが、手前がエンリケ航海王子の像

ボルサ宮 Palacio da Bolsa は
火災で焼失したサン・フランシスコ修道院の跡地に
1834年に建てられたポルト商業組合の建物です。
つい最近まで証券取引所として使われていました。

入場すると初めに鉄線とガラスの美しい天井のパティオを見学。
天井にはポルトと関係の深い国々とポルトガルの紋章が飾られています。

ボルサ宮のパティオ~「紋章の間」

パティオの床はポンペイのグレコ・ローマンスタイルにならったセラミックモザイクです。

パティオの床のモザイク

商業組合の建物が宮殿ではないのに「ボルサ宮」と呼ばれるのは
ご紹介する部屋の豪華さや
「アラブの間」の華麗さ、エキゾチックさのためかもしれません。
(真偽のほどは分かりませんが・・・)

ボルサ宮内部

「裁判の間」・・壁いっぱいに市民の商いの場面が描かれています


凝った天井

次は
ボルサ宮一番の見どころと言える「アラブの間 Salao Arabe 」です。

スペインのアルハンブラ宮殿を模した「アラブの間」は、
当時のポルトの経済力を誇示するために1862年から18年の歳月をかけて造られました。

「アラブの間」・・奥にピアノが置いてあります

良質な木と漆喰で作られた極彩色の華麗なアラベスク模様が
壁から天井まで埋め尽くしています。

「アラブの間」は現在も国内外からの主賓のレセプションや
ピアノコンテスト、コンサートに利用されています。



金色の部分は金箔が使われています


ポルト見学最後のサン・フランシスコ教会 Igreja de Sao Francisco は
14世紀初めに建てられた修道院付属の教会です。 

サン・フランシスコ教会

教会入り口上にあるアッシジのサン・フランシスコの像とバラ窓

当初は簡素なゴシック様式の教会だったそうですが、
17世紀にバロック様式に改装され、
教会内部は金泥細工の装飾で覆われた豪華なものとなりました。
その金箔には
当時植民地だったブラジルから運ばれた300~400Kgもの金が使われたそうです。

内部は撮影禁止でしたので、
下の写真はパンフレットからのものです。

有名な「エッサイの樹」・・・キリストの家系図
ダビデ王の父エッサイからイエス・キリストまでを1本の樹に表したもの


次回は
バスで1時間ほどの所にある
おとぎの国のような運河の街アヴェイロです。


2016年7月24日日曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(10)ポルト Porto ③ 美しい本屋「レロ・イ・イルマオン」

6月11日ガイア地区の次は、
ドウロ川を渡って旧市街に行き、
世界で最も美しい本屋の一つと言われる書店「レロ・イ・イルマオン」を訪れました。
この書店は
2008年イギリスのガーディアン紙による
「The world's 10 best book shops」に選ばれたそうです。

美しい本屋 「レロ・イ・イルマオン」の外観は工事中でした・・

開店10時の少し前に行きましたが、続々と人が集まって来ます。
書店の前には美男の店員さんが、
入店料3ユーロを受け取ったり、入店者の整理をしています。

添乗員さんが言っていましたように
ポルトガルは
この店員さん始め、地元のガイドさんも美男子ぞろいでした。。。

イケメンの店員さん・・・「レロ・イ・イルマオン」

開店前の店内を撮らせてもらいました。↓

開店前のレロ・イ・イルマオン・・・中央にらせん階段があります

店内は教会のような美術館のような不思議な世界です。
ここは映画「ハリー・ポッター」のロケ地でもあり、
「ハリー・ポッター」の原作者のJ.K.ローリングは
英語教師として2年間ポルトに滞在していたそうです。

2階から見た1階の売り場とらせん階段


らせん階段

入り口近くの1階の売り場


2階の売り場


お店の雰囲気と合っているステンドグラス



天井のステンドグラスとランプ






古いレジスター

専門書以外にもいろいろな分野の本があります



店内を見るだけのつもりでしたが、
やはり記念に本を買いたくなり、ポルトの写真集を購入してきました。

お土産に買ってきた PORT の本

表紙はPORTという文字が切り抜きになっています


写真だけの本で
ポルトの街やアズレージョなどがたくさん載っています


次回は
華麗なアラベスク模様の「アラブの間」があるボルサ宮に行きます。


2016年7月22日金曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(9)ポルト Porto ② ガイア地区

6月11日朝8時30分にポルトのホテルを出発して
ドウロ川を挟んで旧市街の対岸にあるヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア(ガイア地区)に行きました。

ここの小高い丘にノッサ・セニョーラ・ド・ピラール修道院 Mosteiro da N. Sr. do Pilar があり、
その展望台から美しい旧市街の街並みが一望できます。
旧市街は1996年「ポルト歴史地区」として世界遺産に登録されています。

ノッサ・セニョーラ・ド・ピラール修道院 2016.6.11 朝8時57分

修道院のすぐ下にドン・ルイス1世橋が架かっていますが、
この橋は19世紀に設置された2階建て構造の鉄橋で
1階は車道と歩道、2階は鉄道と歩道となっています。
この橋はエッフェル塔を造ったエッフェルの弟子が設計しました。


修道院の展望台から見た旧市街(右上)、ドウロ川、
手前のドン・ルイス1世橋を走るのはメトロ

ポルトと言えば、ポートワインですが、
ポートワインが出来た経緯をポルトの歴史と共に書いてみたいと思います。

◆ 

ローマ帝国時代、
ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアはカレ Cale と呼ばれる洲であり、
ドウロ川の河口の街が港 Portus の役割をもっていたことから、
ポルトゥス・カレと呼ばれ、それがポルトガルの語源となった。
当時からポルトは港町として栄えていた。

15世紀まで世界の中心は地中海であり、大西洋に面したポルトガルは
地中海貿易から取り残されたヨーロッパの辺境にすぎなかった。

15世紀初頭、
イスラム教徒に支配されていたイベリア半島(スペイン、ポルトガル)では
キリスト教諸国によるレコンキスタ(国土回復運動)が進んでいたが、
北アフリカのイスラム勢力が
ジブラルタル海峡を通じてイベリア半島のイスラム諸国を援助していたため、
なかなか打ち破ることができなかった。

Wikipediaより・・・中央下赤い小さい部分がセウタ

そこでポルトガル国王ジョアン1世とその息子エンリケは
拠店都市であり、造船基地でもあったポルトで大船団を組織し、
北アフリカとイベリア半島のイスラム勢力を分断するために
1415年、北アフリカのセウタを攻略。
(セウタはモロッコの一部で、現在スペインの飛地領)

アフリカに渡ったエンリケは海外進出を加速し、
地中海貿易をあきらめた代わりに大西洋へと漕ぎ出し、
アジア・アフリカ進出を開始。
1488年バルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸南端の喜望峰に到達。
1498年にはヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達し、ポルトガルはインド航路を独占した。

アジアから直接運ばれた香辛料がポルトガルに莫大な富をもたらし、
夢の大航海時代へと突入する。

旧市街の対岸にあるポートワイン工場(左側オレンジの屋根の建物)
昔は目の前のドウロ川に停泊している船で出荷していた

こうした航海を支えたのがワイン。
外洋航海に水は欠かせないが、熱帯地方の場合、水は1か月ほどで腐り、
そのために水の代わりにアルコール飲料を持ち込み、
水→ビール→ワインというように
アルコール度数の低い順に消費したが、ワインもせいぜいもって3か月。
アルコール度数の高いブランデーは腐らないが水の代わりに飲むわけにもいかず、
ワインにブランデーを入れた酒精強化ワインを積み込んでいった。

17世紀にポルトの酒精強化ワイン=ポートワインがイギリスで大ヒットすると
ポルトガルの主要輸出品に成長し、
のちに大航海時代の勢いが衰えたポルトガルの財政を支えた。

ポートワイン 2016.6.10 ポルトのホテルの夕食にて


以上がポートワインが生まれたいきさつです。


次回は

世界で最も美しい本屋の一つと言われる書店「レロ・イ・イルマオン」です。