2010年5月24日月曜日

「いわさきちひろ」の美術館(安曇野)

東京から戻って数日後の21日、安曇野へ行ってきました。
夫が個人レッスンを受けている稲垣稔さんが出演するギターリサイタルがあったのです。
私はクラシックギターに関してはよくわからないのですが、稲垣さんの演奏は大好きです。(詳しくはPoranの 稲垣稔・伊藤正巳 ギター・ジョイントリサイタルをご覧ください)


せっかく安曇野まで行くのだからと思い、「いわさきちひろ」(1918-1974年)の美術館に寄ることにしました。
「安曇野ちひろ美術館」は思ったより広く、また広大な公園(36,500㎡ 松川村営)の中にあります。





にじみやぼかしを生かした独特な水彩画。 たっぷりとった余白。
いわさきちひろ の絵を一度は目にした人が多いのではないでしょうか?
子どもを生涯のテーマとして描き続けた いわさきちひろ。モデルなしで10カ月と1歳の赤ちゃんを描き分けたといいます。
  













「多目的ギャラリー」「絵本の部屋」「子供の部屋」「ミュージアムショップ」「カフェ」などが、大きな窓に縁どられ、ふんだんに木を使った館内に広がります。 





 いわさきちひろの絵本があちこちに置かれ、自由に手に取ることができます。
↓その中の1冊、「戦火のなかのこどもたち」(1972年)は、ページをめくりながら、涙が滲んでしまいました。




↓公園の奥には「ちひろの黒姫山荘」が黒姫高原より移築復元されています。 



7月には私の好きな赤羽末吉氏の展覧会があるそうなので、再び訪れたいと思います。
子供が小さい頃よく読み聞かせた「スーホの白い馬」「あかりの花」「王さまと九人のきょうだい」などの原画が見られるのでは?と楽しみです。 (参→「モザイクの鉢」


2010年5月20日木曜日

ルーシー・リー展

5月17日、六本木の国立新美術館で ルーシーリー 展 を見てきました。




私はそれまでルーシー・リーについて何の知識もありませんでしたが、4月18日の日経新聞に載った展覧会の案内を見て、どうしても実物を見たいと思いました。




ルーシー・リー(旧姓ゴンベルツ)は、1902年ウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれ、1922年ウィーン工業美術学校でろくろの面白さに魅了され、陶芸家を目指します。
その後、ブリュッセル万国博覧会(1935年)はじめ様々な国際的な舞台で賞を受け、着実に作家として地歩を固めていきます。 
しかしながら、1938年ナチスがオーストリアに侵攻したため、リー夫妻はイギリスに亡命することになります。
その後 夫は初めの予定通りアメリカに渡りますが、ルーシーは一人ロンドンに残り、およそ50年にわたって制作を続けることになります。






当時 バーナード・リーチなどによる東洋陶磁志向のイギリスではルーシーの作風は受け入れられず、また戦争の激化と共に制作は中止せざるを得なくなり、ルーシーは陶製のボタンを作って生計を立てます。



1950年頃から、工房の共同制作者であり最も信頼する友人となるハンス・コパーの強い奨めで、ルーシーは再び自身の道を見出し、自分のスタイルを築き上げていきます。


↑↓ 掻き落としの技法による作品。





↓個別に成形されたパーツを組み合わせて新たな形を作り出す手法「コンビネーションポット」。
上と下の部分を別々にろくろで形作り、後で接合していきますが、継ぎ目の痕跡は全くなく、「割れてもわからない」(ルーシー・リー)とのこと。

  


ルーシーは「窯を開ける時はいつも驚きの連続」、「窯出しして予想通りの作品は半分くらい(アッテンボローとの対話より)」と言っています。




ルーシーはウィーン時代から釉薬の実験の様子を12冊の釉薬ノートに記していました。
そのノートからは、制作のごく初期から精力的に釉薬の実験に取り組んでいた様子がうかがわれます。





ルーシー・リーは88歳で脳梗塞で倒れるまで人生のほとんどを陶芸に捧げ、常にチャレンジを続け信念を貫きます。
そして1995年に93歳でこの世を去りました。

シンプルでモダンで老いてなお若々しい色合いの器を生み出したルーシー・リー。沢山のものを得た展覧会でした。



2010年5月13日木曜日

母の日のミニバラ・・・その後

連休中 山荘に遊びに来た長男のお嫁さんから母の日のお花をもらいました。可愛いミニバラの寄せ植えが綺麗にラッピングされていました。
いくつになってもお花をもらうのは嬉しいことです。お嫁さんの優しい心遣いに感謝です。



ピンク2鉢、オレンジ1鉢で、地植えでも大丈夫とのことでしたが、ここの寒さが心配なので、とりあえず大きな植木鉢に植えてみました。



ここ数日寒い日が続いたので、夜になると部屋の中に入れていましたが、小さな蕾が次々と開き始め、綺麗です。

美しいオレンジとピンクの色彩が部屋を明るくしてくれます。


2010年5月7日金曜日

「池田満寿夫美術館」

4月29日から5月2日まで長男一家が山荘に滞在し、孫を中心に賑やかな数日を過ごしました。
長男たちが帰ってしまうと、気が抜けて寂しく、孫の笑ったり泣いたりした顔が思い出され、すぐまた会いたくなります。
沢山の孫たちを愛しんだ母の気持がわかるようになりました。

4日は長野市にギターの演奏を聴きに行き、帰りに 池田満寿夫美術館に寄ってきました。
池田満寿夫は旧満州で生まれましたが、戦後は長野市で高校卒業まで過ごしました。




池田満寿夫はこの美術館設立準備のさなか、1997年3月8日、心不全で急逝しました。63歳でした。
美術館は同年4月に開館されました。




油絵、水彩、版画、コラージュ、陶芸、「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞等々多方面で活躍した池田満寿夫。 
その作品は、私にとって、いいな~と思うものから、その良さを理解できないものまで様々です。



↓「バラはバラ」はオシャレで好きな作品です。 
これは1966年32歳の時受賞したヴェネツイア・ビエンナーレ展版画部門国際大賞作品28点のうちの1点です。








美術館に隣接している竹風堂で栗おこわを買って帰りました。栗が甘かったけれど、出来たてで美味しいおこわでした。