2016年8月28日日曜日

葉祥明 アート展

先日NHK夕方の信州情報番組で
佐久市立近代美術館で「葉祥明 アート展」が開催されていることが紹介されました。

葉祥明氏のメルヘンの世界は
私にとってとても懐かしいものであり、
是非行ってみたいと思い、最終日の今日行って来ました。

佐久市立近代美術館 2016.8.28

佐久市立近代美術館は車で山荘から1時間10分ほどの所にあります。
初めて行く美術館ですが、
夫が美味しいピザのお店を探しておいてくれましたので、
ピザを食べてから美術館に行きました。

美術館を入ったところに
池田満寿夫氏作の大きな陶板が飾られています。

陶板 「佐久讃歌」 池田満寿夫作


「佐久讃歌」と題された鯉の稚魚をモチーフにした作品です。
思いがけず池田満寿夫氏の作品に出合えて嬉しくなりました。

制作中の池田満寿夫氏 1990年4月


葉 祥明(よう しょうめい 1946-)氏は
今年70歳になる熊本市出身の絵本作家です。

九州学院高等学校、立教大学経済学部、セツ・モードセミナー卒業後、
ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに留学して油絵を学びます。

1972年、「ぼくのべんちにしろいとり」で絵本デビューし、
イギリス、フランス、スウェーデンで発刊されました。

1990年、絵本「風とひょう」でボローニャ国際児童図書展グラフィック賞受賞。


今回のアート展は撮影禁止でしたが、
ポストカードと絵本を2冊買ってきましたので、少しご紹介します。

ポストカードはブルーのグラデーションが美しい「Eternity」。

「Eternity」~ポストカード


アート展で展示されていたものは絵本の原画とその文章です。
どれも優しい、夢のような、想像の翼を広げてくれる絵と文章でした。
物語は日本語と英語で書かれています。

その綺麗な色合いの絵は
私が若い頃友人の間で人気のあったメルヘンの世界そのものでした。
私達はポケットタオルや便箋に印刷された葉祥明氏の世界に憧れていたものです。
当時私は葉祥明氏の絵本を読んだのかもしれませんが、中身を覚えていませんでした。

今回、絵と共に書かれている文章が
平易な文でありながら奥の深い意味が込められ、
いささか宗教的な香りのするものであることに気づきました。
大人が読んでも心に響く良い絵本です。

孫達のプレゼント用に
「夢みるジェイク」と「星空のジェイク」を買ってきました。

絵本「夢みるジェイク」表紙



「夢みるジェイク」より・・・英語と日本語で書かれています。




絵本「星空のジェイク」表紙



「星空のジェイク」より


昨夜は東急リゾートタウン蓼科にある「ゲストハウス クロイツェル」 で
聖歌隊「Choir La Fiore クワイヤ・ラ・フィオーレ」の歌う
「ふるさと」や「花は咲く」などを聴いてきました。

こうして二日続けて心が洗われるような時間を過ごすことができ、
幸せです。



2016年8月22日月曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(15)バターリャ修道院 Mosteiro da Batalha

オリンピックや夏休みなどで中断していました旅行記を再開したいと思います。



6月12日、ブサコの宮殿ホテルを出発して
ポルトガル中央部の都市バターリャにあるバターリャ修道院に行きました。

バターリャ修道院はポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建築物で、
1983年、世界遺産に登録されました。

バターリャ修道院 2016.6.12

バターリャとはポルトガル語で「戦い」という意味ですが、
この修道院は1385年8月14日、
バターリャ近郊アルジュバロータでの戦いで勝利したことを記念して建てられたものです。

これは歴史に残る戦いで
王位を狙って攻めてきたスペインのカスティーリャ軍を
わずかな兵でジョアン1世率いるポルトガル軍が迎え撃ちました。

ジョアン1世は聖母マリアに祈りを捧げ、
カスティーリャ軍を破り、独立を死守します。

戦いの後、
ジョアン1世は聖母マリアに感謝のため修道院建設に着手しました。

そのため正式名は
聖母マリア修道院 Mosteiro de Santa Maria da Vitoria と言います。
そしてポルトガルの独立を象徴する建物となりました。

1386年から建設が始められ、1517年にある程度の完成を見ますが、
その間に7人の国王が在位し、15人の建築家が携わりました。

バターリャ修道院入り口 

入り口のアーチには78体の聖像が飾られていますが、
全て旧約聖書に登場する王・天使・預言者などです。

修道院は
入り口、身廊、創設者の礼拝堂、元参事官室、王の回廊、
洗盤、未完の礼拝堂などで構成されています。

身廊

高さ32m、奥行き80m、幅22mの身廊は
装飾が少なく静かな空間となっており、
そこにステンドグラスを通した柔らかい陽が差し込んでいました。

ポルトガルでステンドグラスを取り付けたのは
このバターリャ修道院が初めてです。
修道院内の一番古いステンドグラスは1430年代のものとされます。

シンプルなステンドグラス




創設者の礼拝堂には
ジョアン1世とその王妃、
エンリケ航海王子や歴代の国王のお墓があります。

エンリケ航海王子の墓



創設者礼拝堂の天井~星形のヴォールト


創設者礼拝堂のステンドグラス映り込み


修道院の元参事官室には
第1次世界大戦や植民地独立運動のアフリカ戦線で戦った無名戦士の墓があり、
24時間、衛兵が守っています。
ポルトガルは第2次世界大戦では中立を守り、参戦していません。

無名戦士の墓の入り口~元参事官室

この部屋には柱が1本もなく、
設計者のアフォンソ・ドミンゲスはその安全性を証明するため
3日3晩ここに泊まり込んだそうです。

無名戦士の墓を守る衛兵


丁度衛兵の交代式を見ることができました。


衛兵の交代式





王の回廊は
ゴシック様式の簡素な回廊に
リスボンのジェロニモス修道院を手がけたボイタックにより
マヌエル様式の装飾が施され、とても美しい回廊となっています。


王の回廊


中庭

王の回廊の北西の角にある洗盤(下の写真)では
修道士たちが顔を洗ったり髪や髭を整えたそうです。

狭間飾りがとても美しい空間です。

洗盤

最後に未完の礼拝堂を見学しました。
ジョアン1世の息子ドゥアルテ1世により1437年に建設が始まり、
100年ほど工事が続けられたのち中止となり、天井が無いまま未完に終わりました。

それは
1521年ジョアン3世がジェロニモス修道院建築にお金を注いだため、
バターリャ修道院の建築を止めてしまったからです。

未完の礼拝堂

未完の礼拝堂は八角形で、その一部が扉となっています。

未完の礼拝堂のステンドグラス


美しいマヌエル様式の入り口の装飾には
新大陸から運ばれたパイナップルやコショウの花などが彫られています。

コショウの花


パイナップル


次回は
ディニス王が王妃にプレゼントした街、オビドスです。
「谷間の真珠」と呼ばれる可愛らしい小さな街です。





2016年8月13日土曜日

ズッキーニのスープ

リオのオリンピックでは
柔道が前回のロンドンオリンピックの悔しさを跳ね返しています。
金メダルは3個でしたが、
若い選手が多いので、4年後の東京オリンピックに繋がることと思います。
男子は全階級でメダルを獲得し、
井上康生監督が涙で声を詰まらせた気持ちがよくわかります。
メダルの色に悔しい選手も多いでしょうが、
選手の皆さん、頑張りました!


さて、
夏本番という事で、
夫の畑から沢山の野菜がキッチンに運ばれてきます。
調理人の私としては新鮮な野菜が食べられる嬉しさと共に
その消費に頭を悩ませます。
毎日似たようなメニューになってしまいますが、
少しでも変化をつけたいと思っています・・・。

それで
今日はズッキーニのスープを作りました。
今、レストランに行きますと、
大抵ズッキーニのスープが出ますので、
我が家でもズッキーニの消費メニューに加えました。

今日収穫した夏野菜の一部 2016.8.13


今回は黄色いズッキーニのポタージュを作りました。
トロリとした美味しいスープです。

玉ねぎ、ベーコンを入れ、お米でとろみをつけてあります。

★追記★水分を少なくして煮れば、お米でとろみをつける必要はありません。
お米なしでもトロリとしたポタージュになります。

ズッキーニのポタージュ 2016.8.13


ズッキーニ自体は淡白で味があまりありませんので、
チーズや豚バラ肉などと組み合わせたり、
オリーブオイルで焼いて塩・胡椒にお醤油をたらしたり、
お酢やオリーブオイル、お醤油ベースのマリネ液に漬けたりします。

厚めに切ったズッキーニのフライも美味しいです。

今まで作ったズッキーニ料理の一部を挙げてみますと・・・

自家製ジェノベーゼを使ったズッキーニのチーズ焼き



ズッキーニ(緑と黄色)の豚バラ肉巻き


緑のズッキーニでリゾットを作ったことがありますが、
鮮やかなグリーンがとても綺麗で
野菜の青臭さはなく、粉チーズやピンクペッパーでアクセントをつけました。

ズッキーニのリゾット


辛子漬けやピクルスも箸休めに重宝します。

ズッキーニの辛子漬け


ズッキーニのピクルス


いずれにしろ、
当分ズッキーニと格闘する日々が続きそうです・・・(@_@)



2016年8月5日金曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(14)ブサコ宮殿ホテル Palace Hotel do Bussaco

6月11日、コインブラの後は、
コインブラから北へ約30Kmのブサコ国立森林公園に向かいました。
その広大な森の中に建っているブサコ宮殿ホテルがこの日の宿泊地です。

ホテルには夕方7時半に到着しましたが、まだ明るく、
夕食までホテルの周囲を散歩しました。

パレス・ホテルの名にふさわしい「ブサコ宮殿ホテル」
・・庭から見た外観 2016.6.12 午後7時41分


ブサコ宮殿ホテル Palace Hotel do Bussaco は
かつてカルメル派の修道院があったこの土地に、王家が建てた離宮でした。
それを1888年から1907年にかけて改修し、
現在五つ星のホテルとなりました。

テラス

エントランスの手前には綺麗なアズレージョが飾られたテラスが広がっています。

美しいテラス

テラスを飾るアズレージョは
ポルトガルの詩人たちによる叙事詩や戯曲などから題材を得たロマンティシズム溢れるものです。

テラスのアズレージョ


テラスのアズレージョ

テラスを通り過ぎ、
小さなエントランスに向かいますが、ここでもアズレージョが出迎えてくれます。

エントランス

宮殿ホテルはマヌエル様式の装飾が見事です。
大航海時代を象徴するポルトガル独特のマヌエル様式は、
その時代を反映するようにアジアやアフリカの珍しい植物や
船のロープ、地球儀などがモチーフとなっています。

ロビー

ロビーや階段を飾るアズレージョは
ポルトのサン・ベント駅のアズレージョを描いた
ジョルジェ・コラソ(1868年ー1942年)によるものです。

ロビーにはナポレオン軍に勝利したブサコの戦いが描かれています。

ロビーのアズレージョ

アズレージョについてはサン・ベント駅の旅行記で触れましたが、
その後の大まかな流れを書いてみたいと思います。

16世紀中頃にイタリア人芸術家たちによって
マジョリカ技法がポルトガルにも広まったことや、
スペインによるポルトガルの併合と再独立、
植民地ブラジルの金鉱からの莫大な富、ブラジルの独立など、
社会の状態や財政の大きな変化がアズレージョにも影響し、
そのモチーフや色、製造方法を変えてきました。



19世紀、急速に需要の高まったアズレージョは
工場で版画風に機械的に作られ、多くの建物に使用されました。

しかし、それに対抗するかのように
タイル職人たちの技術はより磨きがかかり、
決して工業製品に偏ることなく、ハンドペイントを重んじる気持ちを持ち続けました。

アズレージョは
ポルトガル人の美的センス、文化的関心の表れでしたので、
手工芸品として常に受け継がれ、
そのクオリティーは画家の腕にかかっていました。



19世紀後半から20世紀にかけて
アールヌーボー、アールデコ、モダンアートと芸術の流れに沿って
様々なスタイルのアズレージョが作られていますが、
芸術的な作品は全てハンドペイントのものであり
アズレージョ作家たちは
常に絵とデザインの分野における優れた芸術的才能を要求されます。

公園や駅、教会など多くの人の目に触れる場所に取り付けられる装飾タイルは
芸術家にとって大変魅力的なものであり、
現代の画家たちもアズレージョの作品を残したいと考える人が多いそうです。

階段下のホール


階段のアズレージョ・・・ポルトガルによるセウタ攻略


階段踊り場にあるステンドグラス


大航海時代の様子を描いたアズレージョ


ホテルをぐるっと歩いて行くと
ホテルに隣接した白・黒・臙脂色の石のモザイク模様の修道院がありました。

サンタ・ド・クルス・ド・ブサコ修道院

この宮殿ホテルは
エリザベス女王とエジンバラ公の昼食会が催されたり、
2004年にスペイン皇太子の結婚式に参列するために欧州に来られた
日本の皇太子殿下も2泊されたそうです。

私達は
翌朝も散歩しましたが、霧が出ていて幻想的で、
森の中のホテルという雰囲気を味わうことができました。

次回は
マヌエル様式の装飾が美しいバターリャ修道院です。