2008年8月31日日曜日

フランス・ロンドン旅行~ニース「城跡公園」

シャガール美術館の庭にあるカフェでランチを食べた後、また「ル・グラン・ツアー」のバスに乗り、旧市街で降りて、城跡公園まで歩きました。



城跡公園は緑に囲まれた丘にあり、階段や坂道を上って行きます。
その坂道の塀にモザイクが施され、壺や鳥、ドラゴン、戦いの様子などが描かれ、そのデザインが面白く、思わず写真をたくさん撮ってしまいました。





上っている途中に、公園の上から流れる滝があり、水しぶきがあたるので、いっとき涼しくなります。




城跡公園の展望台からは旧市街やプロムナード・デザングレ(イギリス人の散歩道)が見えます。

18世紀よりニースは暖かい地中海に憧れる裕福なイギリス人たちが保養地として利用し、遊歩道を整備するために多くのイギリス人が寄付したことから、プロムナード・デザングレ(Promenade des Anglais)と呼ばれるようになりました。




2008年8月30日土曜日

フランス・ロンドン旅行~ニース「シャガール美術館(2)」

シャガール美術館の続きです。





六角形のホールに「雅歌」の連作5点が展示されていますが、これは「聖書のメッセージ」シリーズの後期を形成するものです。
ソロモンのものとされている詩は、呼び合い、迷い、求め、見出す恋人たちの相互の愛を讃えたものです。






シャガールはこの美術館にしっくり調和する新しい作品を制作しました。
それがコンサートホールのステンドグラスと泉水に面したモザイクです。




コンサートホールにあるこの作品はステンドグラスの名匠シャルル・マルクによって制作されたもので、コンサートと会議のためのホールを深いブルーの光で照らします。

「天地創造」が描かれ、ヘブライ語の筆記と同じように右から左へ読んでいきます。ここには創造の7日間が語られています。
右の第1の窓には最初の4日間が描かれており、光と惑星の誕生が見えます。暗いブルーは原初の夜を思わせます。
左の第2の窓は5日目と6日目が描かれ明るく澄み切ったブルーの中に動物と花、男と女、最初の楽園の平和な風景が現れます。




第3の一番幅の狭い最後の窓は、7日目のエピソードで締めくくられ、天地の創造が終わり、いろいろな色合いの青がここで調和します。
ぽっかり開いた空で天使たちが神の栄光を歌っています。




コンサートホールでは、私たちを含む数組の観光客が椅子に座ってゆっくり鑑賞していました。





泉水に映るモザイクは、火の車に乗った預言者エリアを描いたもので、イタリア人モザイク作家リノ・メラノが制作しました。
建築空間によく調和しており、色使いも繊細で、シャガールのモザイク作品の中でも傑作のひとつとされています。



2008年8月29日金曜日

フランス・ロンドン旅行~ニース「シャガール美術館(1)」


マティス美術館を出て「ル・グラン・ツアー」のバスに乗り、シャガール美術館に行きました。

古代の丘、シミエに1973年7月7日竣工し、これまで常設展として1か所に集約されたことのないシャガールの重要なコレクションが公開されています。

1966年シャガール夫婦によって聖書の「創世記」をはじめとする17の大型絵画がフランスに寄贈され、1985年のシャガール死後、相続税として納入された作品が貴重なコレクションとなり、1988年にはフランスの国有所蔵品に指定されました。

正式には「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館」(Musee National Message Biblique Marc Chagall)というように、聖書の物語をテーマにした作品が展示されています。


『我々のように、我々の姿をかたどって人間を造ろう』(創世記)という神の言葉を物語る「人類の創造」(1956-1958年)。
【まだほんの子供の頃から私は聖書に夢中でした。私にはそれがいつの時代にも一番大事な詩の源泉のように思えたし、今でもそう思うのです。】(シャガール)

シャガール(1887-1985)はロシア(現ベラルーシ)出身のユダヤ人で、1910年パリに5年間滞在したのち、ロシアに戻りますが、ナチスの迫害を避けアメリカに亡命します。1947年パリに戻り、1950年から南仏に永住することを決意し、フランス国籍を取得しました。
 image from www.flickr.com

【聖書は自然の響きのように思え、だから私はこの秘密を伝えようとしたのです。・・・・・人々が安らぎや精神性、宗教心、そして人生の意味を見出せるように、私は作品をこの「家」に残そうと思いました。】(シャガール) 
アブラハムと天が使わした3人の天使たちとの出会い。
天使たちは神の意思と恩寵の使者であり、アブラハムとサラは高齢にもかかわらずイサクという息子を授かります。



人間と創造主である神との対話は聖書のメッセージの中で展開してゆき、「イサクのいけにえ」という最大の悲劇を迎えます。
「アブラハムと3人の天使」は神の愛を描いていますが、「イサクのいけにえ」は神の恐ろしい要求を示しています。
最愛の息子をいけにえとして捧げよという神の要求に対し、苦しみながらもアブラハムは神に従います。
振りかざされたナイフの下にイサクの若い身体が横たわり、天使を仰ぐアブラハムの顔には、神に従いながらも不安に満ちた問いかけが、悲劇的な赤い輝きの中に表れています。
左脇に描かれたサラは、哀願の叫びを発しているかのように見えます。

アブラハムのこの行為を見て、神はイサクの代わりに子羊をいけにえに選び、『私は心からあなたを祝福する。あなたの子孫を天の星のように増やし、彼らによって地上のすべての国民を祝福しようーあなたは私の声に従ったからだ』と、イサクの命を救います。


2008年8月26日火曜日

フランス・ロンドン旅行~ニース「マチス美術館」


ニースのホテルは小さなバルコニー付きでしたので、朝食をここで食べました。昼間は洗濯物干場に変身。
7月16日はマティス美術館シャガール美術館に行って来ました。
「ル・グラン・ツアー」という、観光に便利な所で停車する乗り降り自由のバスを利用しました。一人20ユーロ(当時約3460円)もしましたが・・・。
各停留所での乗降客が多いので、バスは定刻よりかなり遅れて来ましたが、2階はオープンになっているので景色がよく見えるし、日本語のイヤホンガイドがついているので便利でした。
マティス美術館でもシャガール美術館でも一緒になった中年のアメリカ人女性のグループがありましたが、その中のお一人が車椅子に乗っていました。
バスの乗降の際に運転手(いつも女性でした)にその旨を伝えると、1階の乗降口に車椅子用スロープが出てゆっくり乗降できました。
その様子を何度か見ましたが、運転手も乗客もとても自然で当たり前のことをしている風で感心しました。

マティス美術館(Musee Matisse)は、ローマ時代の街の中心であったシミエの丘にあり、17世紀の邸宅を改装したものです。
その周りを囲む広大な庭園はちょうど工事中でした。そのせいか、この日は入館料がタダでした。
マティスは1917年から1954年に84歳でこの世を去るまで、ニースにアトリエを構えていました。

全館改装、拡張された美術館にはマティスの絵画及びグアッシュ切り抜き絵68点をはじめ、デッサン・版画・彫刻・装丁本・写真など合計約680点もの作品が展示されています。またマティス自身が寄贈した装飾品や家具も公開されています。
館内は撮影禁止でしたので、下の写真4枚は入館時にもらったパンフレットに載っていたものです。

↑1953年作「花と果実」…グアッシュ(不透明水彩絵の具)で着色した紙を鋏で切り抜く手法で制作。
青空が見える吹き抜け階段から入る美術館入り口のホールに展示され、マティスらしいシンプルなデザイン、くっきりとした色合いで、明るいエントランスがいっそう華やかになります。


↑大ホール。「黄色いテーブルで読書する女」 
ロカイユ(ロココ)様式の椅子と円卓。

               ↑マティス個人所蔵品…大理石のテーブルと安楽椅子

                 ↑これは買って来た絵葉書です。

またマティス美術館にはヴァンスのロザリオ礼拝堂の下絵、模型があり、いろいろなデザインを考えていたことがわかり、大変興味深いものでした。
ロザリオ礼拝堂は翌日行くことになっており、私のニースでの目的はこのロザリオ礼拝堂でした。



2008年8月22日金曜日

フランス・ロンドン旅行~モナコ


次にモナコ公国に行きました。

わずか皇居の2倍ほどの広さしかない独立国で、バチカン市国に次ぐ世界第2位の小国です。言語はフランス語で入国審査はありません。
1279年、修道士に扮したフランソワ・グリマルディがジェノバ人の築いた要塞を占拠したのがモナコ公国の始まりです。
その後、1860年代にカジノや高級ホテルが完成して、世界の王侯貴族や富裕階級に注目される高級リゾート地となりました。

↓モナコ大聖堂はレニエ大公とハリウッド女優だった故グレース・ケリーが結婚式を挙げたことで有名。


1875年の創建でロマネスク・ビザンチン様式で装飾が綺麗です。
グレース王妃や歴代の大公がここに眠っています。


モンテカルロにあるグラン・カジノはパリのオペラ座を設計したガルニエの作で、まるで宮殿のような優雅な建物です。
カジノで遊ぶにはパスポートなど身分証明書が必要ですが、エントランスホールは大丈夫なので、中に入って豪華な内部の一部を見て、ついでにトイレにも入って来ました。
玄関前には高価なスーパーカーが並んでおりました。



F1やカジノには関心のない私ですが、リヴィエラ海岸に続くその美しい海岸には心奪われました。



6時頃ミニバンツアーから戻り、夕食後ニースの海岸を散歩しました。
いつまでもピンクのようなオレンジのような空が残っていました。



2008年8月21日木曜日

フランス・ロンドン旅行~エズ

翌7月15日はマルセイユを出発してニースに行きました。はじめ空いていた電車はカンヌで人がたくさん乗り、珍しく通路に立つ人がでるほどでした。
駅のそばの観光案内所で午後からのエズ・モナコのツアーを申し込んで、トラムでホテルに向かいました。
午後、エズ・モナコのミニバン・ツアーに参加。オランダ人の中年夫婦とポルトガル(?)の男性二人組と一緒でした。オランダ人のご夫婦は息子さんがミラノの大学にいて、そこを拠点に旅行しているとのことでした。
運転手は若いきれいな女性で、ずーっとしゃべっていました。



エズに向かう途中の景色です。
とにかく地中海が綺麗です。どこの写真を撮っても息をのむほど美しい。海が好きな私にはたまりません。
マドンナやエルトン・ジョンなど有名人の別荘も沢山あります。


コート・ダジュールの断崖絶壁に造られた城壁の町、エズ
中世に敵の攻撃を防ぐために岩山や丘の頂に城壁都市が造られましたが、海を見下ろすエズは大変人気があります。
この狭い中に高級ホテルやレストラン、個性的な工芸品店、ブティック、ギャラリーなどがあります。
頂上の熱帯庭園は珍しいサボテンなどがありますが、展望台からの景色が素晴らしいです。


2008年8月20日水曜日

フランス・ロンドン旅行~エクス・アン・プロヴァンス


7月14日マルセイユからメトロとバスを使ってエクス・アン・プロヴァンスまで行って来ました。
目的はセザンヌのアトリエです。
長距離バスターミナルが旧市街の中心地から離れていたので、バスを降りてから Office du Tourisme (観光案内所)に行くのに迷ってしまい、何人もの人に聞きながら行きました。どの人も親切に教えてくれます。
観光案内所で地図をもらい、標識を見ながらセザンヌのアトリエに向かいましたが、道を1本間違えてしまいましたので、住宅街をぶらぶら散歩しながら行きました。
パリを離れてから日本人に会うことはあまりなかったのですが、ここは日本人に人気のある所なので、日本のツアー客が来ていました。


肝心のアトリエは撮影禁止なので、上の写真はアトリエの売店で買ったものです。
このアトリエは1901年にセザンヌ自身が設計し、人生最後の5年間を過ごしました。セザンヌが使った絵の具、水差し、画材、カバン等が当時のままで公開されています。
自然光がたっぷり入る大きな窓が印象的でしたが、こんなものなのかなーという感じでした。ファンにはたまらない所なのでしょうが・・・。
広い庭は、雑木林のようで、木々が風に揺れ、とてもいい雰囲気です。セザンヌの好みなのでしょう。


セザンヌのアトリエを出て、旧市街を散歩しながらバスの停留所まで行きました。↑旧市街にあった水汲み場(?)。面白いですね。

7月14日は革命記念日でほとんどのお店がお休みでしたが、観光名所のようなお店は開いていました。
↑ 1792年創業のカフェ、レ・ドゥー・ギャルソン。セザンヌ行きつけのカフェだそうです。

↑ プラタナスの並木のミラボー通りにある菓子店ベシャール。エクスの名物菓子カリソンを売っています。
小袋を買って食べましたが、アーモンドのペーストを楕円形にしたもので美味しかったです。

↑ これは、ほとんどの駅やホームにある自販機。見た限り、この自販機ばかりで 他のタイプのものはありませんでした。
飲み物やスナックが買え、私たちも時々利用しました。



夜中の12時から革命記念日の花火が上がりました。ホテルの前の旧港で打ち上げているので、窓からよく見えました。
何時間も前から旧港の周りには見物人がたくさん集まっていましたが、私たちはこの花火のことは当日まで知りませんでした。
偶然、革命記念日にマルセイユ旧港前のホテルに宿泊していたので、大変ラッキーでした。
30分ほど花火が間断なく打ち上げられ、とても綺麗でした。


2008年8月18日月曜日

フランス・ロンドン旅行~マルセイユ(2)

マルセイユでは次にサン・ヴィクトール寺院に行きました。
ここは漁師の守護聖人である聖ヴィクトールの遺骨を祀ってある寺院です。
その外観から、寺院であると共に外敵の襲来に備える要塞の機能も果たしていたことがわかります。


地下聖堂にはカタコンブ(地下の墓所)があり、紀元40年頃にサント・マリー・ド・ラ・メールに上陸したと伝えられるマグダラのマリアが眠っている、と言われていますが・・・。
毎年2月2日には祭礼が催され、ろうそくを灯して行列を組んだ人々が寺院まで歩きます。
その祭りの日には「ナヴェット」と呼ばれる小さな舟形をしたお菓子を食べますが、それはマグダラのマリアが乗ってきた船を表しているそうです。
マグダラのマリアはフランス語でマリー・マドレーヌといい、お菓子のマドレーヌはこの名に由来しています。 

夜9時過ぎになってようやく薄暗くなったマルセイユ。夏のフランスの一日は長く、10時過ぎて暗くなり、12時を過ぎても賑やかです。 



2008年8月17日日曜日

フランス・ロンドン旅行~マルセイユ(1)

7月13日はカルカッソンヌを出発してマルセイユに行きました。
マルセイユはギリシャ・ローマ時代から今日まで常に重要な港で、旧港の北側には近代施設を誇る新港が広がり、マルセイユは人口約85万人でフランス第2の商業都市となってます。


2泊したホテルは旧港の目の前にあり、旧港周辺を散策したり、ノートルダム寺院などに行くのに大変便利でした。
着いた日は日曜日だったので旧港の周りにお店がたくさん出ていて、マルセイユ石鹸やアクセサリー、お菓子などいろいろあって、お店を覗いているだけで時間が経ってしまいました。




マルセイユの港に入る船が最初に見るものは、白と黒の大理石で縁取られたノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院の鐘楼です。
アフリカから海路マルセイユにやってきた人々は、鐘楼の上に燦然と輝く金色のマリア像を目にした時、しみじみとフランスにやってきたことを実感するそうです。
1214年に修道士ペトロがこの地で小聖堂を建てたことが始まりで1864年に現在の大聖堂が完成しました。
当時流行だったローマ・ビザンチン様式で建てられ、パリのサクレ・クール寺院は同時代・同様式です。
丘の上に建っているので、街のどこからでもよく見えます。




聖堂の中は豪華絢爛なモザイクで飾られ、とても綺麗です。
また航海の無事を祈る船の模型がたくさんぶら下がっています。
左写真の左側の細長い黒いものが船の模型です。
教会の中に、綺麗にペイントされた船がたくさんぶら下がっていて、ちょっと異様な感じもします。




2008年8月16日土曜日

フランス・ロンドン旅行~カルカッソンヌ

7月12日アヴィニョンから電車に乗ってカルカッソンヌに行きました。


カルカッソンヌはオード川を挟んで下町ヴィル・バスと城壁に囲まれたラ・シテに分かれています。
ラ・シテは、紀元前2世紀にはイタリア半島と大西洋側のアキテーヌを結ぶワイン交易の要衝であり、すでに要塞化が始まっていました。
6世紀西ゴート族が一つ目の城壁で町を囲い、12世紀、要塞は二重になり、大聖堂と城が築かれます。当時の知識人や吟遊詩人が逗留し、城外にも町は発展していきました。


しかしながら17世紀には要塞としての役割が終わり、19世紀には廃墟と化してしまいます。
その後、作家メリメに見出されて見事に復元され、1997年ユネスコ世界遺産に登録されました。
私たちはお城から出発するガイド付きツアーで、全長約3km、52の塔を持つ城壁内を見学しました。その最中、雷雨に見舞われましたが、それもこのお城の雰囲気と合っていて、中世に戻ったような感じでした。
おとぎ話に出てくるお城のような、ラ・シテ。 
ヨーロッパの人にはとても人気があるようで、観光客がたくさん来ていました。



2008年8月15日金曜日

フランス・ロンドン旅行~アヴィニョン周辺(2)



その後、レ・ボー・ド・プロヴァンスに行き、レ・ボーの城塞を歩いて来ました。何の知識もなく行った所でしたが、なかなかいい所でした。
岩と灌木の野原に900m×200mの台地があり、そこにレ・ボー一族が10世紀に難攻不落の居城を築きました。上の写真の頂上の赤い旗がある辺りです。
あちこちにある城塞都市と同じく、よくまあこんな所に、こんな狭い道しかない町を作ったなーと思います。だから難攻不落なのでしょうが・・・。

レ・ボーの城砦から車で少し行った所に、かつて石切り場だった所があり、現在はバーのようなカフェのような所になっていました。外は30度を超える暑さでしたが、この中はひんやりとして寒いくらいです。↓



次にポン・デュ・ガールに行きました。


ポン・デュ・ガールはガルトン川に架かるローマ時代の水道橋です。
紀元前19年、ローマ帝国はユゼスの山地を水源としてニームに水を流すため、約50kmの導水路を建設します。その高低差わずか17m。
それでも水が滞りなく流れるように、平均1kmあたり24cmのわずかな勾配をつけて造られています。当時の設計・建設技術は凄いですね。 
 現在導水路で残されているのはこのポン・デュ・ガールのみで、高さ48m、長さ490mという巨大な水道橋です。
3層のアーチで構成されており、積み上げられた石材の重さは合計5万トンを超えます。
下から見ても2層目の上から見ても壮大な建造物です。
一見の価値があります。

その水道橋の下を流れるガルトン川で泳ぐ人たち。きれいな水で気持ちよさそうでした。


その後、それぞれホテル近くまで送ってもらい、ミニバン・ツアーは終わりました。