聖アントニオ祭パレード見学の翌日6月13日は
聖アントニオ教会 Igreja de Santo Antonio に行きました。
この教会は
リスボンの守護聖人、聖アントニオ(1194-1231年)誕生の地に建てられた教会ですが、
1755年11月1日午前9時30分に起きたリスボン大地震で
主礼拝堂以外の建物が損壊して大打撃を受けました。
その後
1767年から再建が開始され、現在の教会となりました。
この日は聖アントニオ祭当日であったので
教会の周りにはお店がたくさん並び、
教会にも多くの人が来ていました。
聖アントニオ教会 2016.6.13
聖アントニオ教会の主祭壇~人でいっぱいです
聖アントニオは
イタリアのパドヴァで活躍したフランシスコ派の修道士で
縁結びの聖人としても知られています。
そのため、教会の周りには
マンジェリコという可愛い丸いハーブ(バジル)の鉢植えが
たくさん売られていました。
これはこの日、男性が思いを寄せる女性に贈るものだそうです。
可愛いマンジェリコの鉢
次に、
聖アントニオ教会の後ろにあるカテドラルに行きましたが、
通りは前夜のアントニア祭の名残りのゴミが残っており
清掃車が順次片付けていましたが、かなり賑やかだった様子が想像できました。
カテドラルは
1147年、イスラム礼拝堂跡にアフォンソ・エンリケスの命により建てられたものですが、
やはり大地震で主礼拝堂が崩壊し、
礼拝堂と回廊の多くが地震とそれに引き続く大火で廃墟となりました。
部分的に再建され大掛かりな改修の後、20世紀初頭に現在の姿となりましたが、
ロマネスク様式、ゴシック様式、バロック様式などが時代時代に加えられています。
リスボンのカテドラル
カテドラルの身廊
カテドラルの主祭壇
カテドラルの近くにアルファマ地区がありますが、
そこはリスボンの下町と呼ばれている所です。
この地区はリスボン大地震の被害をあまり受けませんでしたので、
大地震以前の迷路のような路地や白壁の街並みなど
イスラムの影響を感じさせる建物が多く残っています。
イスラムの影響を感じさせる建物が多く残っています。
アルファマ地区の通り
アルファマ地区のアズレージョ
アルファマ地区を少し歩いた後、
バスに乗ってロカ岬に向かいました。
岬への坂道を上っている時は晴れていて遠くの海もよく見えていましたが、
上に行くに従い霧が出てきて
岬に到着した時は、ご覧のような霧の中。
ロカ岬・・・北緯38度47分、西経9時30分 2016年6月13日 午前10時50分
岬から見渡せるはずの大西洋どころか、
海と岬の境も分かりません・・・
折角ですので、
高さ140mの断崖の上にある有名な石碑の下で記念写真を撮って来ました。
石碑には
ポルトガルの詩人カモンイスの詩の一部、
「ここに地果て、海始まる」が刻まれています。
ユーラシア大陸西端のロカ岬から大西洋を望んだ景色を詠ったものです。
そう言われてもこの霧では全く実感が湧きません。
今回の旅行で一番がっかりした所ですが、天候なので仕方ありません。
カモンイスの詩を刻んだ石碑
濃霧の中、可愛らしい花が沢山咲いていました。
ロカ岬に咲く花・・シヨラオという名前?
ここで発行される到達証明書をこのツアーの旅行会社が受け取り、
1人1人に手渡してくれました。
12世紀の花文字で各自の氏名が記されています。
晴れていれば、この到達証明書の写真のようなロカ岬を味わえたのですが・・・
ロカ岬到達証明書
霧の中、再びバスに乗り、シントラの街に向かいました。
途中、
レンガ色の瓦屋根について現地のガイドさん(現地在住の日本人女性)が説明してくれました。
ポルトガル全体に言えることですが、
大体どの屋根も半筒状のレンガ色の瓦です。
これは国が色や素材を指定したり、規制しているわけではなく、
ポルトガルで瓦と言えば
土管のような筒状の素焼きのものしかなく、
それを縦半分に切って屋根瓦として使用しています。
修理する時もこれしかないので、自然と統一感が出るのだそうです。
また白壁が多いように見えますが、規制はなく、
ピンクやイエローの濃い色に塗っているものもありますが、
陽光が強いので、色が褪せてパステル調になり、
だんだん白っぽくなるそうです。
半筒状のレンガ色の瓦屋根・・ロカ岬を下る道沿い
次回はリスボンの西28㎞にあるシントラの街を訪れます。
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