2008年9月30日火曜日

キャスティング


ガラス教室で作ったキャスティングによるオーナメントです。
10cm角、厚さ3cm弱のガラス板で、透明のガラスの中、ギターの部分だけアンバー色にしました。
こういう作り方は初めてなので、要領も分からず、削りすぎたり、足りなかったりで、つたない作品です。
デザインは夫のギターを写真に撮ってアレンジ。先生が綺麗に包装して下さり、、夫へのクリスマスプレゼントとなりました。
工程を簡単に言いますと、
①自分で作った石膏板に好きなデザインを彫刻刀などで彫る。凹型。
②この上に石膏を流し込み、凸型を作る。
③耐火煉瓦で凸型を囲み、ガラス(細かく砕いたもの)を詰め込み、焼成。
④焼きあがったら石膏を解体する。凹型のガラス板ができる。これを綺麗に研磨する。
凹型が向こう側になり、まっ直な面が正面となります。

このあと、冷酒グラスを作りますが、それは夫用なので、自分用が欲しくなり、このようなグラスを作りました。
これもキャスティングという技法によるものです。いくつもの工程を経てガラスを詰め、焼成します。
反対側を見れば傷があったり、ガラスを詰める際に空気が入って窪みができたりと、これもまだまだの作品です。
それでも苦労して作ったものなので、愛着があり、このグラスで梅酒のオンザロックをちびちびと飲んでいます。
私はこの量で酔っ払ってしまいます。



2008年9月19日金曜日

モザイクの鉢




子供たちが小さい頃、絵本をよく読んであげました。
私が子供の頃、母がいつも寝る時に昔話をしてくれて、同じ話を何度聞いてもハラハラドキドキしたり、ハッピーエンドに「あーよかった」と心からホッとしたりの楽しさが忘れられなくて、自分の子供たちにも毎晩絵本を読み聞かせていました。
時々やってくる母も孫たちに絵本を買ってきて読んでくれていました。
そんな中で『スーホの白い馬』という絵本があり、私は読んでいていつも泣いてしまいました。多分今でも泣いてしまうかも・・・。

 

同じ赤羽末吉画伯の絵に魅かれて買い求めたのが『あかりの花』です。
ずいぶん前になりますが、その中の金鶏鳥をモデルにモザイクの鉢を作りました。
大きなテラコッタの植木鉢にカットしたガラスを張り付けてあります。
初めは底の穴を埋めて水を張り、ろうそくや花を浮かべようかと思ったのですが、出来上がってみるとかなり重くなってしまったので、水を捨てる時に大変かなと思い、今は山荘のべランダで一時的な物入れ(野菜を入れたり)になっています。



2008年9月16日火曜日

フランス・ロンドン旅行~サン・ジェルマン・デ・プレ (終)

この旅行記では触れませんでしたが、印象に残った教会がいくつかありました。
パりのサン・ジェルマン・デ・プレ地区にあるサン・シュルピス教会とサン・ジェルマン・デ・プレ教会もその一つでした。 
image from www.flickr.com

サン・シュルピス教会に行った時、ちょうどアメリカのコーラスグループが来ていて、素晴らしい歌声を聴かせてくれました。コーラスグループはこの後もいろいろな教会を回るようでした。サン・シュルピス教会は地元の農民のために建立され、6世紀の大司教聖シュルピスに捧げられた教会です。
16世紀から100年以上の歳月を費やして大修理をし、今日の姿になりました。
サン・シュルピス教会はフランス最大のパイプオルガンやドラクロワのフレスコ画で有名ですが、最近は小説「ダ・ヴィンチ・コード」の重要な場面に使われたために観光客が大勢訪れ、教会側は困っていたそうです。
私たちが行った時はそのブームから時間が経っていたせいか、それほど観光客はいませんでした。
教会内部は派手さはありませんが、 落ち着いていて広さも十分あり、教会らしく、とても良かったです。 



サン・ジェルマン・デ・プレ教会は、パリ最古の一つと言われるロマネスク様式の教会です。


542年当時のパリ王によって聖遺物を納める修道院の付属教会として建てられましたが、575年にパリ司教聖ジェルマンが教会内墓所に葬られてから「サン・ジェルマン・デ・プレ(聖ジェルマンの草原)」と呼ばれるようになりました。
1950年代には、世界的に有名な画家や作家がここに集って議論を重ねたと言われます。
ここも静かで雰囲気も教会らしい教会でした。


どちらの教会も、パリで最も知的なエリアにあり、隣のカルチェ・ラタンはソルボンヌ大学を中心とした800年の歴史を持つ学生街です。セーヌ右岸と違って、静かで落ち着いた良い地域でした。

フランスの見所はまだまだ沢山あるようなので、せめてもう一度訪れたいと思っていますが、行きたい国はいくつもあり、フランス再訪はいつになるのか、叶うのか、わかりません。
今回初めての個人旅行で困ったことも遠回りしたこともありましたが、大きなトラブルもなく予想以上に楽しいものでした。今後も体力とお財布と相談しながら1回でも多く続けて行きたいと思っています。

2008年9月15日月曜日

フランス・ロンドン旅行~マリア信仰 


フランスを旅行していろいろな教会を訪れましたが、そこで印象に残ったことは、強いマリア信仰です。
それは去年旅行したイタリアでも同じでしたが、今回の方が訪れた教会の数が多いので、その印象もかなり強くなりました。
フランスもイタリアもカトリック国ですので、マリア信仰があるのはわかっていましたが・・・。
そこで少し調べてみました。
新約聖書にはイエスの母のマリアについてはほんの少しの記述しかなく、マリアを信仰すべきとは書いてありません。
しかし、多くのカトリック教会にはイエスを胸に抱くマリア像があります。

一神教であるキリスト教は当初、「万能なる神」のみを信仰すべきで、他の対象を信仰することは信仰対象のズレをもたらしかねず、認められませんでした。
偶像崇拝の禁止です。
これは同じ一神教であるユダヤ教、イスラム教も同じです。
ところが当時、言葉の通じにくい他民族や教育を十分に受けていない人々への普及のために教義を分かり易くする必要があり、キリスト教会はその土地の宗教や神々とキリスト教を重ね合わせていきました。
それで絵や彫像への信仰を認めたり、土着の母性信仰と重ね合わせるためにマリア信仰を黙認したりというように、教義の解釈を現実に沿って微妙に変えていきました。


こういった点もプロテスタントには受け入れ難いものでしょう。
ホセ・ヨンパルト(カトリック司祭)著「カトリックとプロテスタント」によると、
『プロテスタントはキリストがマリアから生まれたという事実は認めますが、それ以上のことは認めないようです。』
『カトリックはマリアを神またはキリストのように拝むことはしません。マリアも神によってつくられた人間であり、神でも女神でもありませんが、マリアはすべての人間のうちで最も神に近い者であり、そして神自身もマリアを大切にしました。だから、カトリック教会も昔からマリアを特別に大切にしたわけです。』 
ということです。 
聖母マリアに祈ることは、「それは神への取り次ぎとして最も力がある祈りだから」(同書より)ということだそうです。


ノートルダムNotre-Dame(私たちの貴婦人=聖母マリア)という名を冠し、聖母マリアに捧げられた教会堂が世界各地のフランス語圏に建てられています。
他のカトリック国でも同様だと思います。
布教のためとはいえ、マリア信仰がこれだけ広くいきわたっているのは、人々がそれだけ聖母マリア=母性を求めているということなのかな、と思いました。

                  ↓シンプルでモダンな聖母子像。


2008年9月14日日曜日

フランス・ロンドン旅行~ロンドン(4)



ウェストミンスター寺院を出た後、サンドウィッチを買って遅いランチを船着き場で食べ、テムズ河クルーズに乗りました。
船上から見るロンドンの街もまた趣が違っていいものでした。
たまたま大きな帆船を通すために橋が上がっていたタワーブリッジ の下を通ることもでき、いい思い出ができました。


テムズ河クルーズが終わった後は、地下鉄の駅まで歩きながら街を見学しました。
ホース・ガーズ(Horse Guardsは近衛騎兵隊の司令部ですが、意外なことに騎兵隊員が記念撮影に応じてくれます。
2か所に一人ずつ立っていましたが、撮影中も表情ひとつ変えず、大勢の観光客の相手をしてくれました。
私も恥ずかしさをこらえて一緒に写真を撮って来ました・・・・
  

翌7月20日はチェックアウト後、ホテルに荷物を預けてウェストミンスター大聖堂(Westminster Cathedralに行きました。
こちらは英国カトリック教会の総本山です。
ウェストミンスター寺院と別のスタイルにするために、イタリア建築からヒントを得て赤れんが造りになりました。

ここも内部の撮影が禁止でした。


壁と天井にはモザイクが施され、荘厳な雰囲気です。修理中の部分もあり、寄付を募るパンフレットが置いてありました。
少ししてミサが始まり、多くの人がミサにあずかっていました。
1982年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がここでミサをたてています。

この後、バッキンガム宮殿(Buckingham Palaceに行き、近衛兵の交替を見ました。


やっと見られた近衛兵はおもちゃの兵隊のようで、とても可愛かったです。
近衛兵は普段はイラクなどに派遣されており、1ヶ月間だけ宮殿警備の任務に当たるそうです。
2泊3日のロンドンはとても心残りで、いつの日か再び訪れたいと思いました。
ホテルに戻り荷物を受取って、ヒースロー空港から午後遅い便で成田へと出発し、私たちの24日間にわたるフランス・ロンドン旅行は幕を下ろしました。



2008年9月13日土曜日

フランス・ロンドン旅行~ロンドン(3)


7月19日、午前中の日本語市内ツアーが終わるとすぐ、セント・ジェームス・パークを通ってウェストミンスター寺院(Westminster  Abbeyに行きました。
内部見学をするのに大人12ポンド(当時2760円)、シニア9ポンドでした!
かなり高いと思いますが、中はとても広く、内容も濃く見応えがあり、日本語のオーディオガイドもついていたので、仕方ないかなと思いました。
残念ながら寺院内は撮影禁止です。


ウェストミンスター寺院は960年にベネディクト派修道院としてシティの西(west)に建立された教会堂(minster)で、16世紀にはローマ・カトリック教会より独立しました。
英国国王の戴冠式を執り行ったり、王室の人々が埋葬されたりしているにもかかわらず、国、国王、英国国教会からの財政援助は一切受けておらず、寺院の運営や建物の維持は入場料や寄付で賄っているということでした。
広い寺院の壁と床には、エリザベス1世をはじめとする王室の墓がたくさんあり、教会というより王室の墓地という感じです。


その他ヘンリー7世の礼拝堂やシェイクスピアの記念碑があり、アイザック・ニュートン、ダーウィン、作曲家のヘンデル、小説家ディケンズなどが埋葬されています。
今では埋葬しきれず、寺院以外の所に埋葬されるようになっているそうです。
出口近くには無名戦士の墓があり、花束が添えられていました。床にフラットな記念碑があるだけのシンプルなものでしたが、大仰な装飾がない分、無名の戦士を悼む人々の気持ちがこもっているようで、胸を打たれました。
1997年にはダイアナ妃の葬儀が執り行われました。
 映画「ダ・ヴィンチ・コード」では内部の撮影許可が下りず(当然)、寺院前での映像がありましたね。
 例の如くオーディオガイドは説明が詳しく長いので、2時間近く寺院内にいました。

2008年9月12日金曜日

フランス・ロンドン旅行~ロンドン(2)


7月19日はロンドン市内観光半日ツアーに参加することにしました。ロンドン三越集合の日本語ツアーです。
日本人ばかり40数人で大きなバスが満員になり、現地に住んでいる日本人の女性が案内してくれます。
このフランス・ロンドン旅行に出て初めての日本語ツアーだったので、一字一句染み通るように理解でき、短い時間なのにたくさんの情報を得た気がしました。
イヤホンガイドは1、2度利用したことがありますが、日本語にちょっと難があり、説明もやたら長くて、途中で聞かなくなってしまいました。
このロンドンのガイドは要点を簡潔に、かついろいろなエピソードを盛り込んでくれて、とても楽しめました。
ロンドン三越を出発して、ピカデリーサーカスのエロスの像の前を通り、ナショナル・ギャラリーを横目で見ながらトラファルガー広場へ。
そのまま走ってセント・ポール大聖堂で降り、外観の写真撮影だけ。


セント・ポール大聖堂は1981年にチャールズ皇太子と故ダイアナ妃が結婚式を挙げた英国国教会です。
故ダイアナ妃は日本では大変人気がありますが、イギリスでは、チャールズ皇太子の方が人気があり、尊敬もされており、皇太子が再婚したカミラ妃も同じだそうです。
容姿を若いダイアナ妃と比べられても、それは可哀想というもので、皇太子妃としては何枚も上ということです。
私は映画「クィーン」に登場したチャールズ皇太子の優柔不断で日和見的な感じがご本人によく似ていると思ったので、意外でした。
大聖堂はイタリア・ルネッサンス風の華やかな外観と同様、内部も華麗で見事なモザイクがあるそうですが、今回は時間の都合上中には入りませんでした。


次はロンドン塔で降り、ここも外からの説明だけです。
1066年に即位したウィリアム征服王がロンドンを守るための要塞として建設し、一時期王室の居城となったこともありますが、その後牢獄としての歴史の方が長くなります。
謎に満ちた事件や、王位を奪われた揚句、反逆罪に問われて処刑されたレディ・ジェーン・グレーなどの痛ましい話が多いそうです。


赤と黒の上着を着たビーフィーターのガイドツアーに参加するとこれらの詳しいストーリーが聞けるそうなので、次回は是非参加したいものです。
お休みの日など、子供連れの家族がお弁当持参で一日中ここで過ごし、ロンドン塔の歴史を子供たちに勉強させるそうです。


タワー・ブリッジはバスで渡ったり、河辺から見たり、ツアー終了後はテムズ河クルーズで下を通ったりしましたが、ヴィクトリア調の優雅な二つの塔と青と白の鉄のアーチ橋が美しく、思った以上に趣のある橋でした。


その後、ロンドン・アイ国会議事堂ウェストミンスター寺院などに寄り、バッキンガム宮殿へ。 


バッキンガム宮殿に着く少し前、突然激しい雨が数分あり、ガイドの女性が、雨が降ると近衛兵の交替式は中止になると心配していました。
写真のようにバッキンガム宮殿に着いた時は晴れて真っ青な空だったのですが、やはり中止となり、大勢集まった観光客はがっかりです。
雨が降ると音楽隊の太鼓が濡れるのでダメなのだそうです。
写真を見てもわかるように空がコロコロ変わるのです。ちょっと雨が降ったかと思うと、パーッと晴れてきます。

その後三越に戻り、解散しました。
約3時間のツアーでたくさんの観光ポンイントを駆け足で廻ったので、午後はゆっくり見たいウェストミンスター寺院に行くことにしました。


2008年9月7日日曜日

フランス・ロンドン旅行~ロンドン(1)


アルコールに弱い私は、ミネラルウォターばかり飲んでいたので、時々このような果汁100%のジュースで気分転換をしました。
これはフランスのスーパーや自販機で売っていたPago というオレンジジュースで、日本のポンジュースのような味で、冷えてなくても美味しく飲めるのでよく買いました。


フランスの道路上のゴミについては以前書きましたが、人通りの多い駅や道路には、所々このようなゴミ箱があります。
大体透明か半透明のゴミ袋が口元で固定されているだけのものです。
日本のように細かな分別ゴミ箱はありませんでしたので、ビンでもビニールでも紙でも一緒に捨てられていました。
どこの町か忘れましたが、ある町では道路に巨大な蓋つきのゴミ箱があり、おそらく資源ゴミ(ビンや缶など)を市民が入れるのではないかと思います。




7月18日ニース空港からロンドンのヒースロー空港まで飛び、イギリスに入国しました。
個人旅行者に対するイギリスの入国審査の厳しさが本に書いてあったので、少しドキドキして臨みました。
しかし、日本人の中高年の夫婦、しかも英国航空で来たのですから、すんなりと通過できました。
でも、予想された質問は全て聞かれました。
 滞在目的・滞在日数・滞在するホテル・帰りの航空券の提示・どこから来たか・今日は どこから来たか・・・などなど。
フランス入国の際と大違いです。
パリのシャルル・ド・ゴール空港での入国審査は、こちらの顔もろくに見ず、何も聞かず、パスポートにスタンプも押さず、OKです。
(私が悪い人だったらどうするの?!)と心の中で叫んでしまいました。
フランス旅行中、このアバウトさにあちこちこで驚かされますが、このフランス人のおおざっぱさ、いい加減さに私は魅了されていきます・・・。


ヒースロー 空港から地下鉄(Tube)に乗りましたが、ロンドンの地下鉄はパリと違って落書きもゴミもなく綺麗でした。
ホテルのあるEarl's Court で降り、ホテルまで歩きました。
駅のそばは繁華街ですが、1本入った通りにあるホテルは静かな住宅街でとても落ち着いた所でした。↓




ホテルに6時頃着いて、7時半頃夕食に出かけました。


歩いてすぐの所が駅前通りの繁華街ですので、ひととおり歩いて、よさそうなパブに入りました。
1階はカウンターやテーブルに人がいっぱいいて、にぎやかに飲んだり軽く食べたりしています。
店員に席はあるかと聞くと、dinnerなら2階の方がよく、インテリアも落ち着いていて良いから2階へどうぞ、と言われました。
     可愛いパブの看板↓ image from www.flickr.com 7.18ロンドンのパブの看板

店員の言うとおり、2階は1階と違って落ち着いた雰囲気で、家族連れや若いカップルなどが食事をしていました。



2008年9月4日木曜日

フランス・ロンドン旅行~サン・ポール・ド・ヴァンス

ヴァンスの旧市街でランチを食べた後、ニースに戻る1つ目のバス停で降り、サン・ポールに行きました。


サン・ポール・ド・ヴァンスは丘の上にある典型的な「鷲の巣村」で、中世の城郭に囲まれた美しい街です。

この街の美しさに魅かれ、マティスやシャガール、コクトーなど多くのアーティストがこの地を訪れています。


メインストリートには16~17世紀の古い家が建ち並び、ギャラリーやアトリエが連なっています。私も小さなお皿を買って来ました。
南側のニース門を出たところには墓地があり、シャガールの墓もあります。





2008年9月3日水曜日

フランス・ロンドン旅行~ヴァンス「旧市街」


ロザリオ礼拝堂を出て旧市街に戻りました。
城壁都市ヴァンスは15世紀に市場町として建設され、城壁の中には許可を得た選ばれた市民だけが住むことができたそうです。

image from www.flickr.com  旧市街にはギャラリーが多く、ひとつひとつ覘いてみたくなります。


クレマンソー広場のそばにヴァンス大聖堂があり、シャガールのモザイクが飾られています。


見過ごしてしまいそうなとても小さな教会です。
シャガールのモザイクがここにあるなんて知らない人も多いのではないでしょうか。


旧約聖書の『出エジプト記』を題材にした「パピルスの中のモーゼ」のモザイクは、ニースのシャガール美術館にあるモザイクを連想させました。


モザイク画は近くで見るとこのようになっています。小さくカットした色石や色ガラスを並べて形作るだけで、離れて見ると立体的な絵になっている・・・・モザイクの魅力です。
紀元前13世紀頃、エジプトの王は、数が増え勢力の増したヘブライ人を抑えるために、ヘブライ人の男の子が生まれたら殺すように命令を出しますが、モーゼの母親はわが子を殺さずに葦の籠に入れてナイル川に流します。
それを王妃が見つけて宮殿の中で育てるという物語の一部がモザイクに描かれています。





旧市街は普通の人々の生活の場で、お土産物屋はあまりありません。
生鮮食品やパンを売る店が軒を並べ、中世の町がそのまま現在まで続いています。