2016年6月30日木曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(3)レオンLeon

カストロへリス、聖アントニウス修道院跡を訪れた後、
レオンに向かいました。

レオンは旧レオン王国の首都で
サンチャゴ巡礼路の中継地点としても発達した古都です。

夕方の6時過ぎにパラドールに到着。
横100mもある威風堂々とした建物です。

レオンのパラドール・・・右端が付属の教会です


もともとは1530年頃
サンチャゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼者用の救護院として
建てられましたが、
その後サンチャゴ騎士団の本拠地となり、
カトリック両王(イサベル1世とフェルナンド2世)により
サンマルコス修道院として改築されたものです。

そのファサードは美しいプラテレスコ様式です。

パラドールの正面入り口・・・非常に豊かな浮彫り装飾 

後にパラドールとして改装されましたが、
回廊や付属の教会は修道院当時のままだそうです。

パラドール付属の教会内部 2016.6.7 


パラドールの回廊


回廊から見た中庭  2016.6.7 午後6時26分


ロビーやサロンも歴史を感じさせます。

ロビー近くにあるイサベル1世の肖像画 
~フェルナンド2世の肖像画の隣にあります


パラドール内部


パラドールのダイニングルーム


夕食後ライトアップしたパラドールを見に行きましたが、
優雅で幻想的です。

パラドールにもいろいろありますが、
レオンのパラドールは五つ星です。

ライトアップしたパラドール 2016.6.7 夜10時30分


翌6月8日の朝パラドールを出発して
レオンの大聖堂に向かいました。
 

大聖堂に行く途中、
ガウディ作のカサ・デ・ロス・ボティーネス Casa de los Botines に寄りました。

カタルーニャ地方以外で知られた数少ないガウディ建築物です。

1892年から1893年頃に建てられたガウディ初期の作品で、
ガウディらしさは少ないのですが、
四隅の尖塔や窓を多くして自然を取り入れる傾向などが特徴です。
現在は銀行となっています。

ガウディ初期の作品「カサ・デ・ロス・ボティーネス」 2016.6.8


カサ・デ・ロス・ボディーネスから歩いて15分くらいで大聖堂に着きました。

レオン大聖堂 Catedral de Leon は
13世紀半ばから14世紀末にかけて建てられたゴシック様式の傑作で、
調和のとれたたたずまいから「ゴシックの理想像」と呼ばれています。

レオンの大聖堂 2016.6.8


このカテドラルのステンドグラスは120枚以上もあり、
それは見事なものでした。

レオン大聖堂のバラ窓


花柄のステンドグラス




この大聖堂のステンドグラスの総面積は1800㎡でスペイン最大だそうです。



イタリアやフランスの教会のものと比べますと
その緻密さや優雅さに違いがあるかもしれませんが、
レオン大聖堂のステンドグラスも大変見応えがあり、とても綺麗でした。

このステンドグラスを見ることは今回の旅行の目的の一つでしたので、
私にとって満足できた一日でした。



2016年6月27日月曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(2)カストロへリスCastrojeriz

スペインの北部ピレネー山脈を越える峠付近から
サンチャゴ・デ・コンポステーラに至る地帯に
「サンチャゴ巡礼路 ( カミノ・デ・サンチャゴ Camino de Santiago ) 」と呼ばれる道が
約800Km延びています。

最盛期の12世紀には年間約50万人もの巡礼者がこの道を歩いたそうです。
1993年に世界遺産に登録され、
現在でも同じ道を巡礼者が、徒歩、自転車、車などさまざまな手段で辿っています。

今回私達は巡礼路を歩くことはありませんでしたが、
その通過地点である町を訪れました。

下の地図で赤い四角で囲ってある所です。

前回の記事のブルゴスから始まって、
カストロへリス→レオン→アストルガ→サンチャゴ・デ・コンポステーラへと行きました。

今回は2番目のカストロへリス Castrojeriz についてです。

巡礼の道~ブルーガイド「わがまま歩き スペイン」より


6月7日昼食後ブルゴスを出発して1時間ほどバスに乗り、
カストロへリス Castrojeriz 村に着きました。

ブルゴスからカストロへリスへ行く途中
バスの中から風車をよく見ました・・・スペインの風力発電は全体の約20%だそうです


途中の道からカストロへリス村が見えました。
綺麗な赤いポピーの向こうにこじんまりとした村が静かに佇んでいます。

丘の麓にカストロへリス村がありました


人口2,000人ほどの小さな村は丁度シエスタの時間で、
村全体が眠ったように静かです。

ここが巡礼路であるという表示


この日は31℃もあり、巡礼者も暑そうでした。
通常、巡礼は朝早く出て
暑い日中は休み、夕方宿に着くようにするそうですが、
今回は暑い中を歩いている若者をよく見かけました。

杖を持ち大きなリュックを背負って巡礼者が歩いていました
・・・リュックにぶら下がっている白いものがホタテ貝


村の人はほとんど家の中のようです。

ほぼ人がいません・・


ところどころに巡礼路の方向を示す標識があります。
ホタテ貝のマークが目印です。



サント・ドミンゴ教会もシエスタ中で閉まっていました・・・。

サント・ドミンゴ教会


とても暑かったので、
2軒開いていたバルの1軒で
アイスクリームやジュースを頂いて休んでから、
カストロへリス村を後にしました。

今夜宿泊するレオンのパラドールに行く途中、
聖アントニウス修道会 Convento de San Anton の廃墟に立ち寄りました。

今は外壁の一部と門しかありませんが、
ちょっと雰囲気のある所です。

聖アントニウス修道会の廃墟


この聖アントニウス修道会の修道士が中世に流行した難病を奇跡的に治し、
苦しむ人々を助けたそうです。

そして今、巡礼者はこの門を通ってカストロへリスに向かいます。

聖アントニウス修道会の門


さて巡礼者はシンボルとして
ホタテ貝の貝殻をぶら下げて巡礼路を歩きますが、
何故ホタテ貝なのでしょう?

ホタテ貝を模した家のブザー


それにはいろいろな説があるようです。

①巡礼が命がけの旅だった昔、
無事目的地のサンチャゴに着いた巡礼者が特産のホタテ貝を食し、
その記念として貝殻を持ち帰ったので、サンチャゴ巡礼のシンボルとなった

②夜、信心深い騎士が海岸で馬に乗っていたが
馬と共に海に落ちてしまった
騎士がヤコブ(サンチャゴのこと)に必死に祈ったところ、
体が浮かび上がり陸に戻ることができた
その時、騎士と馬にホタテ貝がびっしりついていた

③ビーナスの誕生にも描かれているホタテ貝には
再生の意味が含まれ、
古い自分を葬り、目的地に着いた時再生すると言われている巡礼と
合っている

などなど・・・

昔はその貝殻で食事を貰ったり、
飲み物を飲んだりしたそうです。

道路や家の前にホタテ貝のシンボルが沢山あります
これも家のブザーです



次回は今夜宿泊するレオンのパラドールです。



2016年6月23日木曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(1)ブルゴスBurgos

「北スペイン巡礼路とポルトガル」の旅行は
6月6日(月)から6月15日(水)まで10日間の日程で
下の地図のように移動して来ました。



6月6日10時25分成田発のKLMオランダ航空で
アムステルダムのスキポール空港まで行きます。

KLMオランダ航空機~アムステルダム 2016.6.6

アムステルダムで乗り換えて
同じKLMでマドリッドまで飛びました。
スペインまでの直行便がないので、時間がかかります。

成田からマドリッドまでフライト時間だけで14時間強、
乗り継ぎの待ち時間を加えると16時間近くになりますので
私は疲れました。

スペインの時差は日本より7時間遅れとなります。

アムステルダムのスキポール空港 2016.6.6


マドリッドのホテルには夜の8時15分到着。
まだまだ明るいです。

スペインについての概略は
2012年6月の旅行記をご覧下さい。



さて翌7日から観光開始です。
マドリッドから大きなベンツのバスに乗って
最初の訪問地ブルゴスへ向かいます。

晴天の中、車窓からは
黄色い花が沢山見えました。

マドリッドからブルゴスへ行く途中~バスの中から 2016.6.7


バスで3時間くらい行くとブルゴスの町に着きました。

スペインの首都マドリッドの北に位置するブルゴス Burgos は
11世紀にカスティーリャ王国の首都として栄えた城下町です。

アルランソン川のほとりに中世の趣きを残した町が広がります。

城壁に囲まれていたブルゴスには5つの門があり、
その中で一番重要な門である
サンタ・マリア門 Arco de Santa Maria から旧市街に入りました。
この門は14世紀に造られ、16世紀に改築されたそうです。

サンタ・マリア門

サンタ・マリア門からすぐのところにカテドラル Catedoral de Burgos があります。

ユネスコの世界遺産に登録されているこの大聖堂は
スペインゴシック様式の傑作で、
トレド、セビーリャに次ぐスペイン三大カテドラルの一つです。

ブルゴスの大聖堂


大聖堂で一番美しいとされるサルメンタル門から入ります。
美しいアーチにはキリストの説教の場面が描かれています。

サルメンタル門


13世紀から建設が始まり、完成までに300年を費やしたカテドラルは
外観も内部も繊細な装飾が施されています。

中に入ると奥に豪華な主祭壇があり、
その手前には
レコンキスタ(イスラム教徒に征服されていた国土を回復する運動)の英雄
エル・シッドとその妻ヒメーナの墓標が床にはめ込まれています。

エル・シッドと妻の墓標


主祭壇

バラ窓をはじめ、様々な模様のステンドグラスが
外光受けて美しく浮かび上がっています。

バラ窓







ステンドグラスの床への映り込みが美しいです


いくつかある礼拝堂の中の
コンデスタブレ礼拝堂 Capilla de Condestable は
クルミの木彫りの上から金泥を塗った豪華で緻密なプラテレスコ様式で有名です。


★プラテレスコ様式★
15世紀にイタリアで興ったルネッサンスはイベリア半島にも到達したが、
それまでイスラムの影響を受けていたイベリア半島では
細やかな装飾性が受け継がれ、
その華麗で細密な装飾が銀細工のようであったため
スペイン語の銀細工の語から「プラテレスコ様式」と呼ばれるようになった。

プラテレスコ様式のコンデスタブレ礼拝堂


その礼拝堂の天井には装飾的な星形の透かし彫りがあります。

高い天井に星形の透かし彫りが印象的


またこの礼拝堂奥の小部屋には
マグダラのマリアの絵が飾られていますが、
レオナルド・ダ・ヴィンチと弟子の作と言われています。

マグダラのマリアの絵~腕がダ・ヴィンチの作とか・・・いろいろ説があるそうです


そして高い天井近くにからくり時計(パパモスカス Papamoscas )がありました。
1時間ごとにからくり人形が口を開けて鐘を鳴らします。

左のバラ窓の位置からからくり時計のある高さが分かると思います


私達は丁度12時の鐘を聞くことが出来ましたが、
高い高い天井近くにあるからくり時計はよーく見ないとわかりません。

12回口を開けて鐘を鳴らしました


ブルゴスの大聖堂は別名
サンタ・マリア・デ・ブルゴス大聖堂 Ctedral de Santa Maria de Burgos というように
聖母マリアに捧げられた教会ですので、
マリア像があちこちにあります。

下の写真は柱の上に立つピラールの聖母です。

ピラールの聖母


カテドラルを出ると
疲れ果てた巡礼の像がベンチに座っています。
ブルゴスは
サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道の一大中継地として栄えた町ですので、
サンチャゴ・デ・コンポステーラを目の前にして
この像のように
服は破れ傷ついた体を休める巡礼者の姿が多く見られたことでしょう。

ベンチに座る巡礼者の像~杖には水を入れるひょうたんが括り付けてあります


そしてマヨール広場に出てランチ(タパスでした)を頂いてからバスに戻りました。

カテドラルの尖塔が見えるマヨール広場


プラタナスの並木~夏には良い木陰になるそうです


アルランソン川を渡る手前に
エル・シッドの銅像が建っています。

エル・シッドはブルゴスの片田舎で生まれた下級貴族であり騎士でした。
のちに暗殺されるサンチョ2世の下で活躍したものの、
続くアルフォンソ6世のもとでカスティーリャ王国から追放されます。
後にバレンシア地方をイスラム教徒から奪還。
異国バレンシアで生涯を閉じますが、ブルゴスの英雄として映画にもなったそうです。

ブルゴスの英雄 エル・シッドの像


次回はのどかな巡礼路の村カストロへリスです。



2016年6月17日金曜日

帰国しました

私は夫と一緒に
6月6日から北スペインとポルトガルのツアーに参加していましたが、
一昨日6月15日に無事帰国しました。

帰国の飛行機は
当初パリ経由のエールフランスの予定でしたが、
パイロットのストライキで
急遽ローマまでポルトガル航空、
ローマからはアリタリア航空で帰って来ました。

初めて乗ったTAPポルトガル航空機~リスボンの空港にて 2016.6.14


10日間の日程の内、観光は正味7日間の旅でしたが、
中身の濃い盛り沢山のツアーでした。

北スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラでは大聖堂のミサにあずかり、
ボタフメイロ(大香炉振り)を目の前で見ましたし、
最後のリスボンの夜は
ポルトガルの民族歌謡ファドの調べに酔いしれました。

乗り換え地ローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港近く 2016.6.14


「情熱のスペイン」に対し、
「郷愁のポルトガル」と表現されるポルトガルは
旅情あふれる落ち着いた、そして日本人にしっくりくる国でした。
私はすっかりポルトガルのファンになりました。


今は毎日旅の洗濯物に追われていますが、
少しずつ写真を整理して
ゆっくり旅日記を書きたいと思っています。

ブルゴス大聖堂のバラ窓~北スペイン 2016.6.7