2012年6月30日土曜日

スペイン旅行(6)アランフェスAranjuez

ホアキン・ロドリーゴの名曲「アランフェス協奏曲」で有名なアランフェス。

マドリッドから南48Kmに位置するアランフェスは
荒地の多いカスティーリャ地方の中で珍しく沃野にあり、
タホ河畔の緑豊かな街です。

この土地は1178年にサンティアゴ騎士団に報奨として与えられた場所で
騎士団はこの地に家を建て土地を耕して畑を作り、
戦いの後の体を休め、穏やかに暮らしていました。

アランフェス王宮正面 2012.6.2 by Poran111

ところが15世紀末、この地を訪れたカスティーリャ女王イサベル1世(1451-1504)は
その豊かな環境をいたく気に入り、王家の物としてしまいました。
騎士団は追い出されたのです。

このイサベル1世はイスラム王国となっていたグラナダを1492年に制圧し、
800年近くにわたって行われた
レコンキスタ(イベリア半島におけるキリスト教国再征服活動)を
完成させた女王でもあります。
またコロンブスの新大陸発見を援助したことでも有名です。

アランフェス王宮南側 2012.6.2 by Poran111

その後1561年フェリペ2世の命により
王宮の建設が始まり、18世紀後半カルロス3世の時代に完成します。

アランフェス王宮北側 by Poran111

王宮は王家の春と秋の離宮として建てられましたので、
当初は宮廷関係者のみが春と秋に住み、
必要に応じて色々な商人が住みつくようになったそうです。

離宮とはいえ、中は大変豪華で、
テーマ別に沢山の部屋があります。
現在27の部屋が見学可能だそうですが、室内の撮影は禁止ですので
その雰囲気をお見せできないのが残念です。

特に印象に残ったのは
「磁器の間」で東洋趣味、中国趣味満載の部屋でした。
白い磁器タイルに植物、動物、人物、風景が描かれ、
四方の壁、天井まで埋め尽くされています。
中国風であって中国でない奇妙なものもありますが、
当時の東洋認識はそのようなものだったのだろうと思います。
私は感動するというよりあまりのゴテゴテに辟易しました・・・

王宮を出るとタホ川の流れを利用して作られた美しい人工の島に
フランス庭園が広がっていました。

アランフェス・・島の庭園 by Poran111


王宮のshopで
スプーンとタイルを買ってきました。
このタイルは他のタイルと違って随分厚みがあり、
どっしりとした感じが気に入りました。

アランフェスのタイル(王宮) by Poran111
アランフェスのタイル(王宮)・・・130mm角、厚み15mm

★「アランフェス協奏曲」について
Poranが詳しく書いていますので、どうぞご覧ください。


2012年6月27日水曜日

スペイン旅行(5)セゴビアSegovia

国立ソフィア王妃芸術センターの次は、
セゴビアに向かいました。

その途中、道路のはるか向こうに十字架が見えました。
かなり離れた所からでもこれだけはっきり見えるのですから、
近づいたらどれほど大きい事か・・・

これはフランコ将軍のお墓です。
将軍と家族が眠っています。

フランコは国のトップに立ったので、
王族の墓に入りたかったのですが、王族ではないので入れません。
それで王族の墓を見下ろす場所に巨大な十字架を立てて
お墓を作ったのです・・・


フランコ将軍の墓(十字架) 2012.6.1 by Poran111
フランコ将軍の墓(十字架) 2012.6.1 (バスの中より撮影)


この十字架を見て走ること40分、セゴビアに着きました。

セゴビアSegoviaは
マドリッドから北西へ95Km、標高1002mの高地にある城塞都市です。
15世紀にはカスティーリャ王国の中心地として、
歴史上重要な役割を果たした所でもあります。

まずは巨大な水道橋に向かいました。
この水道橋はヨーロッパ各地に残るローマ水道橋の中でも
最も美しい橋の一つと言われています。

この橋は紀元1世紀頃に、
15km離れたアセベダ川の水を町まで引くために作られ、1884年まで供給されていました。
全長728m、最も高い所で約29m。
いかなる接合剤も使わず、花崗岩のブロックを積み重ねるだけで、
2段のアーチ型の橋が作られています。
わずかな高低差を計算して作った当時のローマ人の文明、技術の高さに驚かされます。
1928年には同じ所に水道管が設置され、間接的ではありますが、
現在も水路として利用されています。

ローマの水道橋はフランスで ポン・デュ・ガール を4年前に見ましたが、
あちらは郊外でしたが、セゴビアは市街地にありますし、
実際に使われていて興味深いものでした。

水道橋①  2012.6.1 by Poran111


次はカテドラルの前を通り、アルカサルに行きました。
カテドラルに向かう途中の家々の壁には
レースのような模様が彫られていて
エキゾチックでした。



カテドラルは
1521年のコムネロスの反乱によって破壊されたものを
1525年カルロス1世によって再建が開始され1577年に完成したものです。
その外観は
王侯貴族の女性のドレス・・・ウエストをキュッと絞りふわっと広がるスカート・・・
に似ていることから
「カテドラルの貴婦人」と呼ばれています。
優雅な佇まいです。

カテドラル  2012.6.1 by Poran111
カテドラル 2012.6.1・・・「カテドラルの貴婦人」と呼ばれる



アルカサルは
エレスマ川とクラモレス川が合流する地点に聳える岩山の上に立つお城です。
ここはディズニーの「白雪姫」のお城のモデルとなった所でもあり、
見覚えのあるような姿が目の前に現れます。

アルカサル 2012.6.1 by Poran111
アルカサル 2012.6.1・・・「白雪姫」のお城のモデル

アルカサルはローマ時代の要塞があった所に
13世紀初めに城が築かれて以降、数世紀にわたり歴代の王達によって増改築されました。
イサベル女王の即位式やフェリペ2世の結婚式もここで行われました。



アルカサルの天井 by Poran111


IMG_1464★アルカサル室内トリミング by Poran111


私の好きなタイルがいろいろありましたので、いくつか写真に撮って来ました。

アルカサルのタイル① by Poran111



アルカサルのタイル② by Poran111




アルカサルのタイル③ by Poran111



アルカサルから見下ろす庭 by Poran111

アルカサルから見下ろす風景は
緑の木々と草原に囲まれた美しい街並みや
少し離れた所にぽつんと立つ男子修道院などが静かに広がっていました。
この修道院では年老いた修道者7人が世間との関わりを絶って
院内ですべてを賄い、祈りの日々を過ごしているそうです。

アルカサルから見る街の風景  2012.6.1 by Poran111


次回は王家の保養地アランフェスです。


2012年6月23日土曜日

スペイン旅行(4)マドリッドMadrid ③国立ソフィア王妃芸術センター

プラド美術館の後は国立ソフィア王妃芸術センターへ。

建物は歴史的建造物として文化財に指定された
かつてのサン・カルロス病院で、
1980年から改修工事が始まり、1986年にオープン。
正面入り口にある2基のガラス張りのエレベーターが目をひきます。
下の写真は左側に少し見える建物が芸術センターで、
エレベーターの中から
もう1基のエレベーター方面を撮ったものです。

国立ソフィア王妃芸術センター(Madrid) 2012.6.1 by Poran111

建物は元病院だけあって、廊下などにその雰囲気が残っています。
国立ソフィア王妃芸術センター内の廊下  by Poran111

所蔵作品は現代美術館が所蔵していたコレクションをベースに、
スペインの近代及び現代美術を中心に集められています。
その中でダリ、ミロ、ピカソなどを鑑賞。

中でも圧巻は
パブロ・ピカソ(1881-1973年)の「ゲルニカ」でしょう。
写真や映像では何度も見ていますが、
実物を見るのは勿論初めてです。
思ったより大きいものでした(横776㎝、縦349㎝)。

「ゲルニカ」ポストカード by Poran111

当時スペインは
左派の人民戦線政府とフランコ将軍率いる右派の反乱軍が争っていました。
スペイン内戦です(1936年7月ー1939年3月)。
フランコはファシズム陣営のドイツ・イタリアに支援を要請。

1937年4月26日、
スペイン北部バスク地方の小さな町ゲルニカでは
市が立っていました。
戦時中で物資が乏しいことから近隣の町からも
買い出しに来ていた人が多かったそうです。
そこに集まったのは戦地に駆り出されない老人、女、子供ばかりです。

その人々の集まりを
フランコから要請を受けたドイツ軍が空爆したのです。
多数の死傷者を出した無差別攻撃でした。
ゲルニカは前線に通じる鉄道、道路など交通の要であり、
同市を破壊する事で政府軍の補給を妨害する事が目的だったといわれています。

当時ピカソはプラド美術館館長として
パリ万博スペイン館の準備を任され、パリに滞在していました。

パリのホテルの新聞でこの惨事を知ったピカソは、
予定していた壁画のテーマをを変更して
短時間(1ヶ月弱)でモノクロームのゲルニカを描きあげます。

子供を抱いて泣き叫ぶ女性、いななく軍馬、倒れる兵士、
兵士の折れた軍刀、天に救いを求める人、火の灯るランプ・・・

様々な解釈がなされますが、
作者の意図、テーマは何か、と問われたピカソは、
戦争への怒りや人権尊重などの言葉は一切出さず、
「この絵を見た一人ひとりが感じ取ったもの、それがテーマです」
と答えたそうです。

フランコ将軍率いる反乱軍が勝利して終結したスペイン内戦。
ゲルニカは
パリ万博の後ロンドンなどを巡回したのち
ニューヨーク近代美術館に預けられます。

ピカソは
「スペインに本当の自由が戻ったらプラド美術館に飾って欲しい」
と言って、
フランコ政権下ではこの絵がスペインに戻ることを拒否していました。

1973年ピカソ死去、1975年にフランコ将軍が没し、
政治体制が変わったスペインとニューヨーク近代美術館の間で
ゲルニカの返還交渉が始まります。
スペインが王政復古し民主化が進んだ1981年になって
ようやく母国に返還され、
現在ソフィア王妃芸術センターに展示されるようになりました。

当初、絵の両側には銃を持った兵士が警護していたそうです。
今は女性が絵の傍に座り、
絵の手前の線を越えるとアラームが鳴るようになっています。

このような厳重な警護をしているところを見ると
ルーブルのモナリザのように門外不出の作品なのでしょう・・・

私達がゲルニカの前にいる時、
先生に連れられた小学生たちが集まって来ました。
きっとゲルニカが描かれたいきさつやスペイン内戦の歴史を学んで、
戦争の悲惨さを感じとっていくことでしょう。

国立ソフィア王妃芸術センター前のオブジェ by Poran111
パリ万博に出展されたオブジェ (国立ソフィア王妃芸術センター前)



2012年6月20日水曜日

スペイン旅行(3)マドリッドMadrid ②プラド美術館

イタリアもそうでしたが、
スペインも観光地をガイドするには
正式なライセンスを持っていなければなりません。
ライセンスを取得するにはスペイン国籍が必要です。
それで美術館や観光場所を案内説明してもらいたければ
そのようなライセンスを持っているガイドに頼まなくてはなりません。
国としては観光による職を確保する意味もあるのでしょう。

今回の旅行もそのようなライセンスを持ったガイド(スペイン人)と
現地に住んでいる日本人ガイドが付きました。
スペイン人のガイドが日本語や英語を話す時は
日本人のガイドは付きません。

サン・ヘロニモス・エル・レアル教会 by Poran111
サン・ヘロニモス・エル・レアル教会・・・
プラド美術館隣りあるマドリッドに残る唯一のゴシック建築の教会

マドリッドでは
ホテルを出る時から日本女性のガイドさんが付きました。
サラマンカ大学に留学した後、スペイン人と結婚、
女の子と男の子のママでもあります。
流石ガイドさん、何を説明する時でも年月日、人名、場所、
メモを見ることもなくすらすらと出てきます。
昨日のことも忘れてしまいそうな私。
感心する事しきりです。プロですね。

プラド美術館の3つある入り口のうち、
ベラスケスの像がある入り口の前で
ライセンスを持ったスペイン人のガイドさんと合流して館内へ。

プラド美術館 2012.6.1 by Poran111
プラド美術館 2012.6.1・・・ベラスケスの像がある門

ルーヴル美術館、エルミタージュ美術館と並ぶ
世界三大美術館の一つと言われるプラド美術館。
8,000点以上の美術品を所蔵しているそうですが、
ツアーでは代表的な作品を重点的に鑑賞。
ガイドさんの詳しい説明に満足。
勉強になりました。

ここはもともとスペイン王家の美術品を所蔵する
私的ギャラリーとして造られたもので
後に国立プラド美術館となりました。
スペイン王家の莫大なコレクションがベースなので、
略奪品(?)は無いとか・・・

プラド美術館 by Poran111
プラド美術館・・・ゴヤの像がある門

所蔵作品の構成としては、
やはりスペイン絵画が充実しているそうです。
その中でも巨匠と言われる
エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤなどの作品を鑑賞。
大抵の人が教科書などでも見たことがあるものです。

その中でエル・グレコとゴヤの作品について・・・
館内は撮影不可ですので
写真はポストカードあるいはカタログからです。

まずはエル・グレコ(1541-1614年)から・・・
ご存知のようにエル・グレコはスペイン人ではなく、
ギリシャのクレタ島生まれで、
ギリシャ人を意味するエル・グレコという通称で呼ばれていましたが、
作品には必ずギリシャ語で本名のサインを入れていました。

エル・グレコはローマに10年ほどいた後、宮廷画家の職を求めて
35歳頃スペインに来ます。
しかし彼が描いた作品はフェリペ2世に気に入られず、
宮廷画家としての可能性を閉ざされます。

・・・1577-1579年(36-38歳)

宮廷画家としては認められませんでしたが、
宗教関係者からは圧倒的支持を受けます。
バロック絵画の台頭により晩年から死後は忘れられた存在になりますが、
20世紀初頭、印象派やピカソらによって再評価を受けます。

上の「「聖三位一体」は彼がスペインで描いた初期の作品で、
中央のキリストの姿はミケランジェロのピエタを参考にしたと言われます。

下の「羊飼いの礼拝」は晩年の作。
小さな顔と引き伸ばされたような人体プロポーションは
彼の晩年の特徴であり、
これは歳を取るにつれ、
天国への憧憬、天国へ近づきたい気持ちが
天へ天へと伸びて行く体の形となったと言われます。

エル・グレコ「羊飼いの礼拝」(プラド美術館) by Poran111
・・・1612-1614年(71-73歳)

次はフランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828年)です。
「着衣のマハ」は今年1月まで日本で公開された後、
他の国で展示されているとのことで
プラドにはありませんでした。

スペインのアラゴン地方に生まれたゴヤは30歳を過ぎた頃に
タペストリーの下絵を描くことから画家としての道を歩み始めます。
1786年40歳の時、新国王となったカルロス4世の宮廷画家となり、
やっと画家として最高の地位を得ますが、
1792年不治の病で聴力を失います。
ゴヤの代表作として知られる「カルロス4世の家族」や
2つのマハの絵は聴力を失ってから描かれたものです。

ゴヤの肖像画はモデルに似ているだけではなく
その性格を見事にとらえ表現しているそうです。

★ゴヤ「カルロス4世の家族」wikiより by Poran111
ゴヤ「カルロス4世の家族」wikipediaより・・・1800年(54歳)

例えば上の「カルロス4世の家族」は集団肖像画ですが、
愚鈍で人の良さそうなカルロス4世の表情、
しっかり者で勝気な王妃の顔、
画面の真ん中に来るべき王様が右に寄って、
実権を握っていた王妃が真ん中に描かれています。
この絵には他にもいろいろ面白い所がありますし、
ゴヤの観察眼が忠実に表現された1枚と言えるでしょう。


「裸のマハ」は、
裸体であるがために有名になりました。
当時カトリック社会では裸体画は禁止されており、
ゴヤは宗教裁判にかけられます。
当然有罪となりますが、宮廷画家として手を回したのか、
厳しい処分は免れます。しかし絵は処分するよう命じられました。


そこでゴヤは
慌てて「着衣のマハ」を描きます。
タッチも粗く、絵としては「裸のマハ」より落ちるそうです。

何故慌てて「着衣のマハ」を描いたかというと、
その絵の下に「裸のマハ」を隠すためでした。
当局の追及から免れるための策です。

近年、「着衣のマハ」の保存状況を調査する為に
額から絵を外した時、
下に重ねられていた「裸のマハ」」が発見されたのです。

「裸のマハ」のモデルについての憶測はいろいろありますが、
ゴヤもモデル本人も生涯明かすことがなかったので、不明です。

モデルがわからないように
後で顔を描き変えているので
顔の大きさや向きが不自然になっています。


ゴヤ「着衣のマハ」(プラド美術館) by Poran111

折角宮廷画家になったものの、
1807年ナポレオンの侵攻により
ナポレオンの兄がスペイン王位についてしまいます。
1819年ゴヤは「聾者の家」と呼ばれる家に住み始めますが、
キャンバスを買うお金もなく、食堂などの壁に絵を描きます。
暗い色調で題材が絶望的で厭世的なものが多く、
「黒い絵」と呼ばれています。

後年、
絵が描かれた壁にキャンバスを貼り付けて溶剤で絵具を溶かし、
キャンバスに絵を移しました。それがプラド美術館に展示されています。

ゴヤは1828年、
亡命先のフランス、ボルドーで波乱に満ちた82歳の生涯を終えました。


2012年6月19日火曜日

ガラスの器たち

スペインに行く前にオーダー頂いていたデザート小鉢2個とお皿2枚を
旅行から帰って制作しました。

また山荘に来て下さってご購入頂いた器もあります。
その黄色い小鉢は教室で作った作品で、
先生に色合いを褒められて嬉しかった思い出の小鉢です。
お嫁入り先で気に入って頂ける事を
心から願っています。
お買い上げ頂き、有難うございました。

黄色い小鉢 by Poran111


Creemaでは別の方から
小鉢とお皿のご注文を頂いておりました。
それを今日仕上げました。
これはご依頼主様の一人立ちされたお嬢様がお使いになるということです。
お嬢様に気に入って頂けると嬉しいです。

Creemaオーダー分デザート小鉢2個 by Poran111



Creemaオーダー分「優しいお皿」2枚 by Poran111


黄色い丸皿はご依頼主様用にご購入頂きました。
食卓の新しい彩りになってくれたらと思っています。



今も次のオーダー品を制作中です。
その間を縫ってスペイン旅行記、書いて行きます^^


2012年6月18日月曜日

スペイン旅行(2)マドリッドMadrid ①スペイン広場・王宮

アムステルダムからマドリッドに到着したのは夜7時過ぎでしたが、
外はまだ明るく昼間のよう。
夕食は機内で済ませ、
バスでホテルへ。

◇◆◇

翌日から見学が始まりました。
このツアーは「ゆったりコース」と謳ってあるので、
朝の出発は大体9時から9時半。
観光を終えてホテルに戻るのは夕方6時頃。
朝食は概ね7時から用意されていますし、
時差で皆早く起きてしまうので
出発はもう少し早くても良かったかな、と思います。
夕食は連泊したバルセロナで1度だけ街のレストランで頂きましたが、
他はホテルで8時半からです。
スペインでは夕食は10時半からというので、
8時半でも早くしてもらったということでしょうか・・・。


マドリッドのホテル 8:40 2012.6.1 by Poran111

現地のガイドさんによると
スペインでは一日5回食事を摂るそうです。
①朝食。カフェとパンなど簡単なもの。
②午前11時頃サンドイッチなどを食べる朝の軽食。学校でもオフィスでも同じように食べる。
③昼食。一日のメインの食事。午後2時頃しっかり食べる。
④夕方の軽食。午後6時頃タパス(おつまみ)、おやつなど。
⑤夕食。9時半から10時半頃。軽い食事。

これじゃあ一日中何か食べている感じ。

このように夜遅く食べても朝の出勤、登校は普通に始まります。
夜遅い食事が体にいい訳はなく、
皆さん、太っています。。。

◇◆◇

さて初日は、
ホテルを9時に出発してスペイン広場へ向かいました。
バスでアルカラ通りを走り、
威風堂々としたアルカラ門の横を通り過ぎて行きます。
これは「ローマの凱旋門風に」というカルロス3世の希望を受けて、
イタリア人建築家サバティーニが設計し、18世紀後半に造られた市門です。
19世紀末まではここが市の東の境界でした。

周辺はスペイン独立戦争(1808-1814)の勝利を記念して
独立広場と名付けられています。

アルカラ門(マドリッド) 2012.6.1 by Poran111

アルカラ門を通り過ぎたら
シベーレス広場に出ます。
中央には2頭のライオンに引かれた大地の女神
シベーレスの噴水があります。

シベーレス広場(マドリッド) 2012.6.1 by Poran111

その後7~8分でスペイン広場へ。
四角い池の向こうに立っている白いモニュメントの真ん中下あたりに
セルバンテスの像、
その前に黒く見えるのが
ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像です。
これはセルバンテス没後300年を記念して造られたものだそうです。
記念碑の後ろにそびえるのがスペインビル。
左手の高層ビルはマドリッド・タワー。
1948年完成時はヨーロッパ一の高さでした。

スペイン広場とセルバンテス像(マドリッド) 2012.6.1 by Poran111


ロシナンテに乗ったドン・キホーテとロバにまたがるサンチョ・パンサの像は
近寄るとかなり大きく、
傍に立っている人と比べると、その大きさがよくわかります。↓


次は
スペイン広場にほど近い王宮へ。
王宮前にはフェリペ4世の騎馬像があるオリエンテ広場が広がります。
現在国王一家は郊外のサルスエラ宮にお住まいで、
公式行事などに使用される時以外は一般公開されています。
しかし今回は外観を見ながらオリエンテ広場を散策して終了。


オリエンテ広場から見た王宮(マドリッド) by Poran111
オリエンテ広場から見た王宮(マドリッド)


王宮内には2,800もの部屋があり、
見学可能な50室には
ヴェルサイユ宮殿の鏡の間を模した玉座の間や
150人が収容できるという饗宴の食堂など
豪華絢爛、贅を尽くした部屋の他、
王室コレクションのシャンデリア、
ゴヤ、ボッシュ、ベラスケスなどの絵画や
2,500枚ものタペストリーがあるそうです。
いつか見学したいものです。
建築様式は古典主義趣味のバロック様式がメイン。



次回は
マドリッドに来たら外せない、プラド美術館です。


2012年6月16日土曜日

スペイン旅行(1)スペインSpainについて

今回私達は
5月31日(木)にKLMオランダ航空で成田を出発し、
アムステルダムで乗り換え、マドリッドに到着。
スペイン各地を訪れて
バルセロナからまたアムステルダムで乗り換え、
6月9日(土)に成田へ帰って来ました。

スペインでは下図のように回りました。

★スペイン旅行地図トリミング by Poran111

パック旅行でしたので
効率よく盛り沢山の内容でしたが、
個人旅行のように
ゆっくり掘り下げての見学とは行かず、
消化不良の感は否めません。
それは致し方ないことでしょう。

それでも
ホテルの部屋は広くて設備も快適、
ホテルでの朝食、夕食も美味しかったですし、
外食も2度ほどガッカリというものがあったものの、
パック旅行だからと半分諦めていた部分が
思ったより良かったので満足です。

それにツアーのお仲間も旅慣れた楽しい方が多く、
今まで行かれた国々のお話が聞けて
私達の次の旅行の参考にもなりました。

アムステルダム空港  2012.5.31 by Poran111


今日はスペインSpainの概略を・・・

正式国名は特に制定されていないそうですが、
スペイン国(エスタード エスパニョル Estado Español)、
又は
スペイン王国(レイノ デ エスパーニャ Reino de España)
または
スペイン(エスパーニャ España

政治体制は
立憲君主制で国王はファン・カルロス1世。
17の自治州からなり、それぞれ独自の政府を持ち、
自治州はさらに50の県に分かれます。
面積は日本の約1.3倍、人口は2009年時点で日本の約1/3。

首都はマドリッド(マドリード)Madrid。
国としての公用語はカスティーリャ語ですが、
それぞれの地方で
カタルーニャ語、ガリシア語、バスク語が公用語として併用されています。

宗教はカトリックが大多数。
他にユダヤ教、イスラム教など・・。

「白い村」ミハス 2012.6.5 by Poran111


世界遺産登録数はイタリアに次いで世界第2位。
オリーブオイルの生産量世界第1位。
ワインの生産量世界第3位(1位フランス、2位イタリア)。

気候は
大きな国であることと、地形と海流が影響しあうこともあり、
地方によって大きく異なります。
北部は多雨で緑が多く、夏は涼しく冬は温暖な海洋性気候。
マドリッドを中心とした中央部は
降水量が少ない乾いた寒暖の差が厳しい大陸性気候。
東部、南部は年間を通して温暖で乾燥した地中海性気候。
ただし夏のアンダルシアは酷暑。

ひまわり畑(アンダルシア地方。ロンダ~セビリアに行く途中。)2012.6.6 by Poran111


添乗員さんによると
スペインは一番(ヨーロッパで?)英語が通じないそうで、
スペイン人は英語を学ぶ気があまりなく
バカンスもスペイン語が通じる南米のスペイン語圏に
行く人が多いとか・・・
ちなみにドイツは小学生のころから英語を勉強するので
ほとんどの所で英語が通じるそうです。


こんな全体像のスペインですが、
ラテン系らしくおおざっぱでおおらかな国民性は
ちょっと旅しただけでも感じられました。
ラテン系、
楽しいです^^


次回は
最初の見学地マドリッドについてお伝えします。