2016年8月22日月曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(15)バターリャ修道院 Mosteiro da Batalha

オリンピックや夏休みなどで中断していました旅行記を再開したいと思います。



6月12日、ブサコの宮殿ホテルを出発して
ポルトガル中央部の都市バターリャにあるバターリャ修道院に行きました。

バターリャ修道院はポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建築物で、
1983年、世界遺産に登録されました。

バターリャ修道院 2016.6.12

バターリャとはポルトガル語で「戦い」という意味ですが、
この修道院は1385年8月14日、
バターリャ近郊アルジュバロータでの戦いで勝利したことを記念して建てられたものです。

これは歴史に残る戦いで
王位を狙って攻めてきたスペインのカスティーリャ軍を
わずかな兵でジョアン1世率いるポルトガル軍が迎え撃ちました。

ジョアン1世は聖母マリアに祈りを捧げ、
カスティーリャ軍を破り、独立を死守します。

戦いの後、
ジョアン1世は聖母マリアに感謝のため修道院建設に着手しました。

そのため正式名は
聖母マリア修道院 Mosteiro de Santa Maria da Vitoria と言います。
そしてポルトガルの独立を象徴する建物となりました。

1386年から建設が始められ、1517年にある程度の完成を見ますが、
その間に7人の国王が在位し、15人の建築家が携わりました。

バターリャ修道院入り口 

入り口のアーチには78体の聖像が飾られていますが、
全て旧約聖書に登場する王・天使・預言者などです。

修道院は
入り口、身廊、創設者の礼拝堂、元参事官室、王の回廊、
洗盤、未完の礼拝堂などで構成されています。

身廊

高さ32m、奥行き80m、幅22mの身廊は
装飾が少なく静かな空間となっており、
そこにステンドグラスを通した柔らかい陽が差し込んでいました。

ポルトガルでステンドグラスを取り付けたのは
このバターリャ修道院が初めてです。
修道院内の一番古いステンドグラスは1430年代のものとされます。

シンプルなステンドグラス




創設者の礼拝堂には
ジョアン1世とその王妃、
エンリケ航海王子や歴代の国王のお墓があります。

エンリケ航海王子の墓



創設者礼拝堂の天井~星形のヴォールト


創設者礼拝堂のステンドグラス映り込み


修道院の元参事官室には
第1次世界大戦や植民地独立運動のアフリカ戦線で戦った無名戦士の墓があり、
24時間、衛兵が守っています。
ポルトガルは第2次世界大戦では中立を守り、参戦していません。

無名戦士の墓の入り口~元参事官室

この部屋には柱が1本もなく、
設計者のアフォンソ・ドミンゲスはその安全性を証明するため
3日3晩ここに泊まり込んだそうです。

無名戦士の墓を守る衛兵


丁度衛兵の交代式を見ることができました。


衛兵の交代式





王の回廊は
ゴシック様式の簡素な回廊に
リスボンのジェロニモス修道院を手がけたボイタックにより
マヌエル様式の装飾が施され、とても美しい回廊となっています。


王の回廊


中庭

王の回廊の北西の角にある洗盤(下の写真)では
修道士たちが顔を洗ったり髪や髭を整えたそうです。

狭間飾りがとても美しい空間です。

洗盤

最後に未完の礼拝堂を見学しました。
ジョアン1世の息子ドゥアルテ1世により1437年に建設が始まり、
100年ほど工事が続けられたのち中止となり、天井が無いまま未完に終わりました。

それは
1521年ジョアン3世がジェロニモス修道院建築にお金を注いだため、
バターリャ修道院の建築を止めてしまったからです。

未完の礼拝堂

未完の礼拝堂は八角形で、その一部が扉となっています。

未完の礼拝堂のステンドグラス


美しいマヌエル様式の入り口の装飾には
新大陸から運ばれたパイナップルやコショウの花などが彫られています。

コショウの花


パイナップル


次回は
ディニス王が王妃にプレゼントした街、オビドスです。
「谷間の真珠」と呼ばれる可愛らしい小さな街です。





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