2016年9月18日日曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(18)リスボン Lisboa ② ベレンの塔、発見のモニュメントと聖アントニオ祭

6月12日、ジェロニモス修道院を出た後、
ベレンの塔と発見のモニュメントに行きました。
どちらもジェロニモス修道院のすぐ近くにあるのですが、
間に線路があるためぐるっと回り道をします。

この頃リスボンでは薄紫色のジャカランダの花が咲いていました。

美しいジャカランダの並木道~リズボン 2016.6.12

テージョ川沿いに建つベレンの塔 Torre de Belem は
16世紀初めマヌエル1世の命により、船の出入りを監視する要塞として建てられました。

ヴァスコ・ダ・ガマはじめ多くの航海士たちがここから出発したそうです。

塔は
敵の襲撃を防ぐための堅牢な砦である堡塁(ほうるい)の2層の部分と
4層のタワー部分からできています。
タワーには王室の居室、食堂、国王の間などがあります。

堡塁の2階にはぐるりと放射状に砲台が備え付けられえており
テージョ川と9㎞先の大西洋に睨みを利かせています。
1階は潮の干満を利用した水牢でした。

司馬遼太郎が「テージョ川の貴婦人」と称したベレンの塔
~貴婦人がドレスの裾を広げている姿にたとえています~

次に
ベレンの塔から東約1㎞の所にある
発見のモニュメント Padrao dos Descobrimentos に行きました。

モニュメントには左右両方に群像があり、
下の写真は正面に向かって右側(西側)の姿です。

このモニュメントは
1960年エンリケ航海王子の500回忌を記念して造られました。
帆船をイメージした高さ52mの碑に海洋王国ポルトガルを支えた英雄たちが描かれています。

大海へ乗り出す船を手に先頭に立つエンリケ王子、
そのあとに天文学者、宣教師、船乗りなどが続きます。
ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン、フランシスコ・ザビエルなど30数名が彫られています。

発見のモニュメント

モニュメント前の広場の地面には大理石のモザイクで世界地図が描いてあり、
ポルトガルがその国を発見した年号が記されています。
この地図は南アフリカ共和国から贈られたものだそうです。
(追記:1960年に贈呈されました)

日本が発見されたのは1541年となっていますが、
これはポルトガル人が種子島を発見した年ではなく
ポルトガル船が豊後に漂着した年です。

現地のガイドさんの話によると、
学者が調べたところ
これはこの地図を作った人の単なる間違いで、
資料には日本発見は1543年と記されており、発見の年を書くべきだったそうです。

大理石で描かれた世界地図の中の日本~発見のモニュメントの広場

その後リスボンで宿泊するホテルに行き、
夜に行われるアントニオ祭まで自由行動となりました。

リスボン市内


ホテル近くの広場

夜8時45分にホテルのロビーに集合して
聖アントニオ祭のパレードを見に行きました。

リスボンの守護神聖アントニオを讃える聖アントニオ祭は
6月12日(前夜祭)と13日に行われ、
前夜祭にはリベルダーデ通りでパレードが行われます。

予選を通過した各地の踊り子たちが9時過ぎに歩き始めました。
それぞれの地区で考えた衣装と踊りで競います。

私達が見学した少し先に審査員席があり、
そこで時間をかけて踊っていました。

アントニオ祭(前夜祭)のパレード・・・リベルダーデ通り


子供のグループもあります

10時過ぎに私達ツアー一行は帰路に着きますが、
お祭りの見どころである上手なグループの登場は12時頃になるそうですので、
私達は肝心のところは見ていないことになります。
でも翌日のスケジュールや治安のことを思えば10時に引き上げるのも仕方ありません。
お祭りの雰囲気を味わえたので充分です。

私達夫婦はアントニオ祭名物のイワシの炭火焼きを食べたいので、
添乗員さんたちと一緒にホテルに帰るツアー仲間と別れて
イワシの炭火焼きの屋台に向かいました。
私達と一緒に食べたいという女性二人も一緒に来ました。

イワシの炭火焼きの屋台・・・奥のカウンターで注文します

聖アントニオ祭は炭火でイワシを焼いて食べることから
「イワシ祭り」とも言われるそうです。

大きなイワシ・・・身が柔らかくて美味しいイワシです

塩のきいた焼きたてのイワシはとても美味しく、
私以外の3人は喉を潤すためにビールを飲んで更に満足そうでした。

イワシの炭火焼きを皆が美味しそうに食べる様子は
日本人がサンマの塩焼きを好んで食べるのと似ていて、親近感を持ちました。

夜遅くまで賑わう通り 夜10時21分


盛りだくさんの一日が終わり、
翌日はリスボン見学最後の日となります。



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