午前中に国立新美術館に行き、「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」を見てきました。
生憎の雨でしたが、10時開館少しして入った美術館はかなり混んでいました。
夏休み、日曜日ということもあったのでしょうか・・・。
雨の国立新美術館 2011.8.21
アメリカの首都ワシントンD.C.に位置するワシントン・ナショナル・ギャラリーは12世紀から現代に至るまでの西洋美術コレクション約12万点を所蔵する世界有数の規模と質を誇る美術館です。
今回の展覧会では、印象派とポスト印象派の作品の中から日本初公開作品約50点を含む83点が展示されています。
展覧会のパンフレット
この美術館を創設したアンドリュー・メロンは、19世紀から20世紀にかけて銀行家、実業家としてアメリカ屈指の財を築き、1890年代末にはジョン・ロックフェラー、ヘンリー・フォードらと並んでアメリカ合衆国を代表する大富豪となった人物です。
合衆国財務長官、イギリス大使を歴任した彼は美術品の収集に関心を持ち、いつしか自国の首都にふさわしい美術館を創る夢を抱きます。
そして自らの審美眼と財で集めた絵画約130点を含むおよそ150点にのぼるコレクションと、美術館設立のための資金を連邦政府に寄贈したのです。
こうして1941年に完成した西館は当時世界最大の大理石造りの建造物でした。
その後も氏の志に賛同する人々が作品の寄贈を続け、今日に至るまで同館の所蔵品はすべて一般市民による国への寄贈で成り立っているという、世界でも例を見ない国立美術館です。
どこかで一度は目にしたものから初めて見るものまで多様な作品が4つのブロックに分けられて展示されています。
買ってきたポストカードをその4つのブロックに分けて紹介します。
<1> 印象派登場まで
ヨーロッパにおいては長い間、聖書や神話、歴史的な場面を視覚的に表現する事が絵画の目的とされてきた。しかし19世紀に入ると、フランスでは森林や田園に出かけ、そこにある風景を写実的に描こうとする画家たちが登場。
一方パリでは急速な近代化を受け、新しい時代にふさわしい革新的な絵画表現が模索されるようになる。エドゥアール・マネは、ヨーロッパの過去の巨匠たちの影響を受けつつも、明快な色彩や従来の遠近法にとらわれない平板な空間表現を大胆に追求し、印象派の画家たちに直接的な影響を与えた。
エドゥアール・マネ 「鉄道」 1873年
<2> 印象派
印象派の画家たちは積極的に屋外で制作し、自然の中できらめく光や光が刻々と移ろいゆく様を表現しようとした。そのため出来るだけ色を混ぜず、色を細かい筆致で重ねて描く筆触分割の技法や明快な色彩の多用が印象派に共通する特徴となった。
ピエール・オーギュスト・ルノワール 「踊り子」 1874年
クロード・モネ 「日傘の女性、モネ夫人と息子」 1875年
<3> 紙の上の印象派
印象派、ポスト印象派の画家たちが取り組んだエッチング、リトグラフなどの版画作品。
エドガー・ドガ 「オペラ座のホワイエ」 モノタイプ(黒インク) 1880年頃
アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック 「アンバサドゥールの粋な人々」
網目紙に油彩、黒チョーク 1893年
アルフレッド・シスレー 「川岸」 カラー・リトグラフ 1897年
<4> ポスト印象派以降
ポスト印象派の画家たちは鮮やかな色づかい、絵具の厚塗り、筆触の強調という印象派の技法を継承しつつも、それぞれ独自の方法で、対象をより永続的で実体のあるものとして把握する手法を模索。
ポール・セザンヌ 「赤いチョッキの少年」 1888年ー1890年
フィンセント・ファン・ゴッホ 「自画像」 1889年
展示会場を出る時、もう一度見ておきたいと思って戻って見た絵は、ゴッホの「自画像」でした。
私は2008年夏、長男がパリで結婚式を挙げたことをきっかけに、夫と二人で21日間フランスを旅行してきました。その時、サン・レミ・ド・プロヴァンスにあるゴッホが入院した精神病院を訪れました。
この自画像が描かれる前年にゴッホはアルルにやって来て、この絵の翌年亡くなります。
15か月の間に200点もの絵を描いたそうですが、この自画像の痩せたゴッホの顔を見ると翌年の悲劇が迫っているようで辛くなります。また自分自身の旅行の記憶も重なり、印象深い作品でした。
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