2012年6月20日水曜日

スペイン旅行(3)マドリッドMadrid ②プラド美術館

イタリアもそうでしたが、
スペインも観光地をガイドするには
正式なライセンスを持っていなければなりません。
ライセンスを取得するにはスペイン国籍が必要です。
それで美術館や観光場所を案内説明してもらいたければ
そのようなライセンスを持っているガイドに頼まなくてはなりません。
国としては観光による職を確保する意味もあるのでしょう。

今回の旅行もそのようなライセンスを持ったガイド(スペイン人)と
現地に住んでいる日本人ガイドが付きました。
スペイン人のガイドが日本語や英語を話す時は
日本人のガイドは付きません。

サン・ヘロニモス・エル・レアル教会 by Poran111
サン・ヘロニモス・エル・レアル教会・・・
プラド美術館隣りあるマドリッドに残る唯一のゴシック建築の教会

マドリッドでは
ホテルを出る時から日本女性のガイドさんが付きました。
サラマンカ大学に留学した後、スペイン人と結婚、
女の子と男の子のママでもあります。
流石ガイドさん、何を説明する時でも年月日、人名、場所、
メモを見ることもなくすらすらと出てきます。
昨日のことも忘れてしまいそうな私。
感心する事しきりです。プロですね。

プラド美術館の3つある入り口のうち、
ベラスケスの像がある入り口の前で
ライセンスを持ったスペイン人のガイドさんと合流して館内へ。

プラド美術館 2012.6.1 by Poran111
プラド美術館 2012.6.1・・・ベラスケスの像がある門

ルーヴル美術館、エルミタージュ美術館と並ぶ
世界三大美術館の一つと言われるプラド美術館。
8,000点以上の美術品を所蔵しているそうですが、
ツアーでは代表的な作品を重点的に鑑賞。
ガイドさんの詳しい説明に満足。
勉強になりました。

ここはもともとスペイン王家の美術品を所蔵する
私的ギャラリーとして造られたもので
後に国立プラド美術館となりました。
スペイン王家の莫大なコレクションがベースなので、
略奪品(?)は無いとか・・・

プラド美術館 by Poran111
プラド美術館・・・ゴヤの像がある門

所蔵作品の構成としては、
やはりスペイン絵画が充実しているそうです。
その中でも巨匠と言われる
エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤなどの作品を鑑賞。
大抵の人が教科書などでも見たことがあるものです。

その中でエル・グレコとゴヤの作品について・・・
館内は撮影不可ですので
写真はポストカードあるいはカタログからです。

まずはエル・グレコ(1541-1614年)から・・・
ご存知のようにエル・グレコはスペイン人ではなく、
ギリシャのクレタ島生まれで、
ギリシャ人を意味するエル・グレコという通称で呼ばれていましたが、
作品には必ずギリシャ語で本名のサインを入れていました。

エル・グレコはローマに10年ほどいた後、宮廷画家の職を求めて
35歳頃スペインに来ます。
しかし彼が描いた作品はフェリペ2世に気に入られず、
宮廷画家としての可能性を閉ざされます。

・・・1577-1579年(36-38歳)

宮廷画家としては認められませんでしたが、
宗教関係者からは圧倒的支持を受けます。
バロック絵画の台頭により晩年から死後は忘れられた存在になりますが、
20世紀初頭、印象派やピカソらによって再評価を受けます。

上の「「聖三位一体」は彼がスペインで描いた初期の作品で、
中央のキリストの姿はミケランジェロのピエタを参考にしたと言われます。

下の「羊飼いの礼拝」は晩年の作。
小さな顔と引き伸ばされたような人体プロポーションは
彼の晩年の特徴であり、
これは歳を取るにつれ、
天国への憧憬、天国へ近づきたい気持ちが
天へ天へと伸びて行く体の形となったと言われます。

エル・グレコ「羊飼いの礼拝」(プラド美術館) by Poran111
・・・1612-1614年(71-73歳)

次はフランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828年)です。
「着衣のマハ」は今年1月まで日本で公開された後、
他の国で展示されているとのことで
プラドにはありませんでした。

スペインのアラゴン地方に生まれたゴヤは30歳を過ぎた頃に
タペストリーの下絵を描くことから画家としての道を歩み始めます。
1786年40歳の時、新国王となったカルロス4世の宮廷画家となり、
やっと画家として最高の地位を得ますが、
1792年不治の病で聴力を失います。
ゴヤの代表作として知られる「カルロス4世の家族」や
2つのマハの絵は聴力を失ってから描かれたものです。

ゴヤの肖像画はモデルに似ているだけではなく
その性格を見事にとらえ表現しているそうです。

★ゴヤ「カルロス4世の家族」wikiより by Poran111
ゴヤ「カルロス4世の家族」wikipediaより・・・1800年(54歳)

例えば上の「カルロス4世の家族」は集団肖像画ですが、
愚鈍で人の良さそうなカルロス4世の表情、
しっかり者で勝気な王妃の顔、
画面の真ん中に来るべき王様が右に寄って、
実権を握っていた王妃が真ん中に描かれています。
この絵には他にもいろいろ面白い所がありますし、
ゴヤの観察眼が忠実に表現された1枚と言えるでしょう。


「裸のマハ」は、
裸体であるがために有名になりました。
当時カトリック社会では裸体画は禁止されており、
ゴヤは宗教裁判にかけられます。
当然有罪となりますが、宮廷画家として手を回したのか、
厳しい処分は免れます。しかし絵は処分するよう命じられました。


そこでゴヤは
慌てて「着衣のマハ」を描きます。
タッチも粗く、絵としては「裸のマハ」より落ちるそうです。

何故慌てて「着衣のマハ」を描いたかというと、
その絵の下に「裸のマハ」を隠すためでした。
当局の追及から免れるための策です。

近年、「着衣のマハ」の保存状況を調査する為に
額から絵を外した時、
下に重ねられていた「裸のマハ」」が発見されたのです。

「裸のマハ」のモデルについての憶測はいろいろありますが、
ゴヤもモデル本人も生涯明かすことがなかったので、不明です。

モデルがわからないように
後で顔を描き変えているので
顔の大きさや向きが不自然になっています。


ゴヤ「着衣のマハ」(プラド美術館) by Poran111

折角宮廷画家になったものの、
1807年ナポレオンの侵攻により
ナポレオンの兄がスペイン王位についてしまいます。
1819年ゴヤは「聾者の家」と呼ばれる家に住み始めますが、
キャンバスを買うお金もなく、食堂などの壁に絵を描きます。
暗い色調で題材が絶望的で厭世的なものが多く、
「黒い絵」と呼ばれています。

後年、
絵が描かれた壁にキャンバスを貼り付けて溶剤で絵具を溶かし、
キャンバスに絵を移しました。それがプラド美術館に展示されています。

ゴヤは1828年、
亡命先のフランス、ボルドーで波乱に満ちた82歳の生涯を終えました。


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