2013年4月30日火曜日

平泉

前半の連休は良いお天気でしたので、
皆様どこかへお出かけになったでしょうか・・・。

私のところは長男一家が3日間滞在しました。
3歳と1歳の孫の可愛いふるまいに久々に賑やかな山荘となりました。
今年は2晩とも長男がお料理してくれたので大助かり。
お料理が趣味という息子を持つのはいいものです^^

さて、日光・東北旅行記の続きです。
◆◇◆

4月19日の日光見学の夜は
塩原温泉の明賀屋(みょうがや)本館に泊まりました。
ここは4つの泉質、異なる源泉があり、すべて源泉かけ流しの温泉が楽しめます。
東日本大震災の際、温泉が出なくなったところもありますが、
地割れした所から新たに湧き出た温泉もあるそうです。

明賀屋本館で一番の特徴は川岸露天風呂で、
鹿股川がすぐ目の前にあり、枯れることなく300年湧き続けています。
夏場などは温泉から川に入ってしまう男性もいるそうですが、
もちろんそれは禁止です。
白濁色の温泉は少ししょっぱい味がします。

明賀屋本館の川岸露天風呂 HPより by Poran111



翌4月20日の朝は「平泉」(岩手県)に向かいました。

平泉(ひらいずみ)は
「平泉ー仏国土『浄土』を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」という名で
世界遺産に登録されています。

平泉文化は平安時代後期(11~12世紀)、
奥州平泉に陸奥の豪族藤原清衡、その子基衡、孫の秀衡の
いわゆる奥州藤原三代がおよそ100年にわたって築いたものです。
初代の清衡が平泉に居を移したのは1,100年頃といわれ、
奥州に仏教文化を中心とした平和な理想郷の建設が始まりました。


また平泉は
源義経との関わり、
後年、奥の細道を旅していた芭蕉が詠んだ句
「夏草や 兵どもが 夢の跡」「五月雨の 降残してや 光堂」など
興味深い逸話のある場所です。


中尊寺の門・・・2013.4.20 by Poran111


平泉の中心となる中尊寺は
天台宗東北大本山で850年慈覚大師円仁の開山。
その後、12世紀藤原清衡により大伽藍が造営されました。

当時、
百体の釈迦如来像を安置する釈迦堂や
金色の九体仏を安置する二階大堂、
金箔の金色堂などに参詣する人々は
極楽の世界を見る思いがしたと言われます。

しかし14世紀に多くの堂塔が焼失し、現在残っているのは金色堂や経蔵などです。


中尊寺本堂 by Poran111


有名な金色堂は
1965年に造られた鉄筋コンクリート製の覆堂にすっぽり覆われています。
金色堂は建立当初、屋外に建てられていましたが、
数十年後に簡単な風雨除けが設けられ、
その後鎌倉時代の1288年に金色堂全体を包む覆堂が造られました。
その覆堂は旧覆堂として金色堂近くに残っています。
現在の覆堂はコンクリート製なので、ちょっと風情がありません。

中尊寺金色堂 by Poran111


金色堂の中は撮影禁止ですので
写真はネット上からお借りしたものとパンフレットからです。
金色堂全体はガラスで囲われており、
思ったより小さいものでしたが、
堂全体が金箔で覆われ、皆金色の極楽浄土を表している様は
とても見事で思わず見惚れてしまいます。


「中尊寺金色堂」netより by Poran111

内陣は螺鈿細工・蒔絵などの漆工芸や精緻な彫金が施され、
平安仏教美術の最高峰とされます。

3つの須弥段(しゅみだん=仏像を安置する一段高く設けられた所)には
清衡(中央)、基衡(向かって左)、秀衡(右)の遺体が収められていました。
現在も中央の須弥壇には清衡の遺体が収められているそうです。

「中尊寺金色堂」・・・パンフレットより by Poran111


次に毛越寺に行きました。

毛越寺(もうつうじ)は
中尊寺から車で数分、自転車でも行ける距離にあり、
世界遺産「平泉」の一部です。

ここも中尊寺同様、慈覚大使円仁が850年に開山。
藤原氏二代目基衡、三代目秀衡の時代に多くの伽藍が造営され、
往時は中尊寺を凌ぐほどの規模と華麗さであったそうです。

しかしながら、毛越寺のすべての建物は度重なる災禍で焼失しており、
その跡地が大泉ヶ池の周りに点在しているだけです(臨池伽藍跡)。

本堂ではちょうど結婚式が行われていて
白無垢の花嫁と羽織袴の花婿が
薬師如来像の前で深々と頭を下げていました。
映画のようなシーンでした。

本堂の仏像は平安時代の作ですが、
建物は平成元年に平安様式で建立されました。

毛越寺本堂・・・2013.4.20 by Poran111



毛越寺浄土庭園 by Poran111



平泉の後は
この旅の目的地である盛岡に向かいます。



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