2016年4月15日金曜日

小諸城址「懐古園」

今日はお天気が良さそうだという事で、
小諸の懐古園に行って来ました。

小諸は山荘から車で1時間少しの所です。

懐古園では
少し前に桜が満開だと聞いていましたので、
散ってしまわないかと心配でしたが、
馬場跡地を桜色に染めてしまいそうなくらい
沢山の桜が咲き誇っていました。

懐古園馬場跡地の桜と天守台の石垣 2016/4/15


小諸城は
1554年佐久地方を制圧した武田晴信(後の信玄)が小諸城を拡張整備し、
1591年に小諸城に入った仙石秀久による大改造を経て
現在のお城が出来上がりました。


馬場跡地に咲く満開の桜 

しかしながら、
明治維新の廃藩置県により
小諸城は廃城処分となり、荒廃していきました。

旧小諸藩士達は
その荒廃していく姿を憂い、
資金を集めて小諸城を払い受け、
本丸跡に神社を祀り、花木を植えて公園にし、
「懐古園」と命名しました。


天守台から見た桜


大正12年(1923年)、
東宮殿下(のちの昭和天皇)が行啓され、
懐古園の名が全国に知れ渡るようになって
1926年、新たに公園設計がなされ、
近代的な市民公園に生まれ変わったそうです。

小諸城址「懐古園」は
日本100名城、日本さくら名所100選に選ばれています。

石垣とソメイヨシノを背景にした枝垂れ桜


桜を満喫した後、
「藤村記念館」と「小山敬三美術館」に寄って来ました。

「藤村記念館」は懐古園内にあり、
島崎藤村の遺墨、遺品や関係書類を収集保管した小さな記念館です。

「藤村記念館」のパンフレットより


『小諸なる古城のほとり 雪白く遊子かなしむ…』 で有名な
「千曲川旅情のうた」を詠った藤村は
明治5年(1872年)現在の岐阜県中津川市に生まれますが、
小学校の途中から東京で過ごし、明治学院普通部本科第1期卒業生となります。

その後東京や仙台で教師を務めたのち、
小諸義塾の英語教師として長野県小諸町に赴任し、6年間過ごします。

藤村の生涯は
さまざまな誇るべき作品とは別に
私生活は倫理的に問題があり、私としては複雑な感情を抱かざるを得ません。

それでも
久しぶりに藤村の人となりに触れて
「破戒」や「夜明け前」を読んでみたくなったことも事実です。


「藤村記念館」のあと、いったん懐古園を出て
「小山敬三美術館」に行きました。

懐古園に隣接している「小山敬三美術館」 2016.4.15


この美術館は
小諸市出身の小山敬三画伯が1975年に建設し、
作品と共に小諸市に寄贈したものです。

「アルカンタラの橋」1926年作~美術館のパンフレットより


小諸の豪商の家に生まれた小山画伯は
画家を目指すことに当初父親の反対を受けますが、
本人の熱意に父親が折れ、島崎藤村のアドバイスなどもあり、
若くしてフランスで油絵を学びました。
サロン・ドートンヌに入選し、
画伯のフランス語の教師であった
フランス人貴族の子女マリー・ルイーズと結婚し、帰国します。

美術館には
画伯の代表作である一連の浅間山や白鷺城シリーズ、
肖像画、デッサン画などが展示されています。

美術館のポスターにも使われている「浅間山黎明」1959年作



「初夏の白鷺城」1974年作~美術館のパンフレットより


画伯は1975年文化勲章を受章、
1987年89歳で永眠されました。

グランドプリンスホテル新高輪に
画伯の「紅浅間」の大壁画が飾られています。

美術館を出た後、
また懐古園を通って「三の門」を見たりして
お昼にお蕎麦を食べ、小諸を後にしました。

懐古園入り口近くにある「三の門」


私は
懐古園の桜を見たいといつも思っていましたが、
お天気の良い今日実現でき、満開の桜を充分味わうことが出来ました。




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