講師はイタリア文化会館・日伊協会講師のジュリアーノ・デルペーロ氏です。デルペーロ氏はミラノ大学で哲学を修め、来日して20年ということでした。
第1回目は「階段の聖母」(大理石のレリーフ・未完)と「ケンタウルスの闘い」(レリーフ)で、前者はミケランジェロ14~17歳、後者は17歳の時の作品です。
どちらも私は初めて見る作品でした。あるいは教科書か美術書で見ていたかもしれませんが、覚えていませんでした。
それぞれ、ミケランジェロの意図が表現されていて、質問形式で受講者に考えさせます。
その講義の中でマルク・シャガールの話になりました。そこで私の疑問が一つ解けました。
それは今夏ニースの「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館」に行った時湧いた疑問でした。
シャガールはロシア(現ベラルーシ)生まれのユダヤ人です。ユダヤ教徒であるシャガールの絵の中に、イエス・キリストや十字架が描かれており、腑に落ちませんでした。
ユダヤ教もキリスト教も唯一にして万物の造り主である全能の神を信じますが、ユダヤ教はナザレ人イエスを救世主(メシア)とは認めません。
イエスは預言者の一人に過ぎないと考えます。
ですから、イエスを神の子にして救世主(メシア)であり神自身であると信じるキリスト教を認めません。
それなのに何故シャガールの絵の中にイエスや十字架が・・・?
ユダヤ教徒は皆キリスト教を否定し、拒否し、自分の絵の中にイエスや十字架を描くなんてあり得ないと私は考えていました。
しかし、シャガールが自分の絵の中にイエス・キリストや十字架を描き入れたのは、イエスをメシアと認めないまでも、愛の人、愛を実践し、神の愛を伝えた人と考え、受け入れたのではないかと思い始めました。
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