連休も今日で終わりです。
別荘地は潮が引いたように閑散としてきました。
それぞれの別荘の前に何台も止まっていた車がなくなり、
子供たちや大人同士の楽しげな話し声も車と共に消えて行きます。
連休や夏休みのあとに見られるいつもの情景ですが、
私は胸の奥がひんやりするように
寂しくなります。
「静かになっていいわ~」という人もいますが、
私はとても寂しいです。
そしていつの間にか
いつもの犬と夫だけの静かな日常に慣れていきます・・・
◆◇◆
さて、東北旅行記の続きです。
4月20日は平泉を出たあと、
夕方、盛岡のホテルにチェック・インしました。
別荘地は潮が引いたように閑散としてきました。
それぞれの別荘の前に何台も止まっていた車がなくなり、
子供たちや大人同士の楽しげな話し声も車と共に消えて行きます。
連休や夏休みのあとに見られるいつもの情景ですが、
私は胸の奥がひんやりするように
寂しくなります。
「静かになっていいわ~」という人もいますが、
私はとても寂しいです。
そしていつの間にか
いつもの犬と夫だけの静かな日常に慣れていきます・・・
◆◇◆
さて、東北旅行記の続きです。
4月20日は平泉を出たあと、
夕方、盛岡のホテルにチェック・インしました。
その夜は
ホテル近くのお寿司屋で会食がありましたが、
笑ったり、しんみりしたり、また爆笑して、
最後は再び盛岡を訪れる約束をして解散しました。
最後は再び盛岡を訪れる約束をして解散しました。
この会食が今回の旅行の目的でしたので、
無事終了し、一安心です。
翌日からは遠野を通って、三陸海岸を南下しながら
東日本大震災の被災地を巡ってきました。
◆◇◆
4月21日は朝から冷たい雨が降っていましたので、
予定していた盛岡市内見学は取りやめ、
車で市街地を走った後、遠野に向かいました。
遠野ではかなり雪が降っていて
南部曲り家(なんぶまがりや)に着いた頃は
南部曲り家(なんぶまがりや)に着いた頃は
冬のような景色でした。
遠野は
名馬の産地として知られた地域です。
馬は軍用としてや
農家にとっての労力使役や運送の手段として
大変貴重なものでした。
江戸時代、
南部馬の飼育が盛んになると同時に家の形も工夫され、
曲り家が確立されました。
曲り家というのはL字型の家のことで、
人間の住む母屋と馬小屋を直角に連結した農家を言い、
人間の住む母屋と馬小屋を直角に連結した農家を言い、
南部曲り家の代表格である千葉家は
19世紀初頭に建てられたものと考えられており、
見晴らしの良い小高い丘の中腹にあります。
約800坪の敷地に曲り家を中心に
土蔵、納屋、社などがあり、かつては作男15人、馬20頭を有していました。
現在は一部を有料で開放していますが、
母屋は今も生活の場として使用しています。19世紀初頭に建てられたものと考えられており、
見晴らしの良い小高い丘の中腹にあります。
約800坪の敷地に曲り家を中心に
土蔵、納屋、社などがあり、かつては作男15人、馬20頭を有していました。
現在は一部を有料で開放していますが、
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言い伝えによれば、
千葉家は飢饉の時や農閑期の失業対策として建てられ、
完成までの約10年間、村の子供から老人まで人夫として作業に携わり、その糧を得ました。
馬屋と母屋をつなぐ大事な空間でもありました。
土間を上がるとすぐ生活の中心である囲炉裏のある台所で、
台所のわきにある「流し」から、米のとぎ汁や洗い水を馬に与えました。
また土間には馬の飼料を作る釜もあり、
馬屋にいる馬の様子を見て世話をしながら生活できる作りになってます。
住人は
夜寝る時まで馬の気配を感じたことでしょう。
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