20日午後アメリカのオクラホマ州オクラホマシティーのムーアで発生した巨大竜巻は
被害を受けて亡くなった方が
90人を超えるような大規模災害となりました(5/21 CNN日本語電子版による)。
その中には子供が約20人含まれるということです。
直径3キロを超える大竜巻が襲ってきて
どんなに怖かったことでしょう。
自然の恐ろしさを再び目の前に突き付けられた思いです。
亡くなられた方々、被災された方々に祈りを捧げたいと思います。
◆◇◆
さて東北旅行記の続きです。今回で終了となります。
4月21日(日)は釜石から南三陸町まで被災地を辿ってきた後、
南三陸町の「南三陸ホテル観洋」に泊まりました。
部屋の窓から志津川湾が見渡せる素晴らしいロケーションのホテルです。
着いた日は10階の部屋と露天風呂から夕日を眺めました。
目の前の静かな海が
震災の日には
大きな津波となって2階にある露天風呂も襲いました。
その時間はまだチェックイン前だったため
お客様への被害は少なかったそうです。
震災の時はホテルの両側の地域が被災して交通が遮断され、
ホテルのある地域は孤立してしまいました。
そこでホテルが近隣の住民を受け入れ
備蓄してあった食料で支援が来るまでしのいだそうです。
翌朝露天風呂から美しく穏やかな海を見ていると
「ここに津波が来たことが嘘のようですね」と
他の旅の方とお話ししました。
誰もがそう思う平安な景色でした。
ホテルを出た後、日本三景の一つ、松島に行きました。
松島では観光遊覧船に乗りましたが、
船の出発を待つ間に
ずんだ餅を食べてきました。
私には少し甘過ぎましたが、
お餅が柔らかく美味しいずんだ餅でした。
松島は松島湾(宮城県)内外にある約260の島々からなっています。
百人一首の
「見せばやな 雄島(をじま)のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変わらず」
に歌われた雄島が同じ湾内にあります。
この美しい湾も津波が襲い、島の文化財などが破損しましたが、
それでも周辺の町と比べましたら
被害は少なかったようです。
それは湾内に点在する多数の島が緩衝材となって
津波の勢いを弱めたと言われます。
とても心地よく景色も綺麗で思ったより楽しめました。
餌に釣られてくるウミネコの多さと
人懐っこさには吃驚しましたが・・・
仙台では名物の牛たんを食べなければ、と
地元の人に勧められた「利休」で「牛たん定食」を頂きました。
いつもバーベキューで食べる薄い牛たんとは大違いで、
随分厚みがあります。
それでいてさっくり噛み切れて食べやすいのです。
味付けもいいのでしょう、
炭火で焼かれたお肉はくどくなく、とても美味しいものでした。
先日行った渋谷ヒカリエに
このお店「利休」が入っていました。
仙台の街を少し歩いて
仙台城跡に行きました。
仙台城(青葉城)は
1600年に伊達政宗が本丸を造営しました。
近畿地方から建築、絵画、工芸の専門家を招聘し、
桃山文化の粋を凝らして造られた名城だったそうですが、
明治初期から大正にかけて
その大半が失われました。
とても華やかな雰囲気を醸し出していました。
初めての東北旅行は
今思い返しても大変意義深く、かつ楽しいものでした。
旅館やホテル、お店などで
被災された地元の方たちとお話しする機会がありましたが、
共通して言われたことは、
是非東北に来て欲しい、旅行して欲しいということでした。
それが何よりの支援になりますと
おっしゃっていました。
やっとお店を出してもお客さんが来ないことには
どうしようもありません。
ホテルや旅館もお客さんを待っています。
どうぞ皆様
東北を旅してください。
私はまだ行っていない東北の地がありますし、
再び訪れたい地域があります。
これから少しずつ
東北訪問を続けたいと思います。
charanさん、
返信削除東北旅行記、興味深く読ませて頂きました。あの大震災を乗り越えて、今懸命に復興に向かう東北の方々にとって、私たちがその地を訪れる事こそ、一番の応援になるのですね。
私は若い時から東北が大好きで、春に秋に、よく友人と訪ねました。厳しい自然が作り出す景観の美しさ、東北の人の温かさ、色々な思い出があります。あまり海沿いに行った事が無かったので、今度は是非、陸前高田や南三陸町を訪れたいと思います。
とても読み応えのある旅行記でした。
Angelaさん、長い旅行記を読んで頂き、有難うございました。Angelaさんは東北によく行かれていたんですね。人々の温かさは私も感じてきました。とても良い所ですね。
削除私たちは盛岡、仙台に縁を得て、今回の旅行が実現しました。もっとゆっくりしたかったですね。東北はまだまだ知らないところが沢山あります。何度でも行きたいと思いました。