ロンダのパラドールに宿泊した翌日は
セビーリャに行きました。
本来ならこの時期はひまわりの最盛期で
ひまわり畑がずっと続くそうですが、
今年は4月が寒く、種まきの時期が随分遅れたため、
ほとんどのひまわりはまだ茎が低く、花が咲くのはまだまだの様子でした。
その中でこのひまわり畑は
畑の主が天候の回復を待ち切れずに種を蒔いたらしく、
この辺りだけひまわりが咲いていました。
それでも花は小さく、このままだと油を取るには未熟だそうです。
今年は日本でも桜の開花が遅くヤキモキしましたが、
世界のあちこちで天候不順だったのですね。
セビーリャに行きました。
本来ならこの時期はひまわりの最盛期で
ひまわり畑がずっと続くそうですが、
今年は4月が寒く、種まきの時期が随分遅れたため、
ほとんどのひまわりはまだ茎が低く、花が咲くのはまだまだの様子でした。
その中でこのひまわり畑は
畑の主が天候の回復を待ち切れずに種を蒔いたらしく、
この辺りだけひまわりが咲いていました。
それでも花は小さく、このままだと油を取るには未熟だそうです。
今年は日本でも桜の開花が遅くヤキモキしましたが、
世界のあちこちで天候不順だったのですね。
人口は約70万、スペインで4番目となります。
ローマ時代にはすでにこの地方の中心都市として栄え、
西ゴート王国の首都がおかれたこともありますが、
8世紀にはジブラルタル海峡を渡ってきたモーロ人に征服され、
以降500年以上にわたり、イスラム文化繁栄の舞台となります。
1248年カスティーリャ王フェルナンド3世がイスラム教徒から奪還し、
大航海時代には、新大陸との交易港として栄えます。
コロンブスの新大陸発見以降、アメリカ大陸への旅の拠点となり、
1519年に世界一周の旅に出たマゼランもセビーリャから出発しています。
カテドラル近くにあるアルカサルは
イスラム時代の城をレコンキスタ後に
キリスト教徒の王たちが改築したものです。
今回は中には入りませんでした。
イスラムのモスクを取り壊した跡地に、
1420年から1世紀余りをかけて建てられたゴシック様式主体の大聖堂です。
その大きさは
ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ
ヨーロッパで3番目となります。
中の小礼拝堂や聖具室には
ムリーリョの「サン・アントニオの礼拝」やスルバラン、ゴヤなどの名画が飾られています。
ムリーリョの「サン・アントニオの礼拝」やスルバラン、ゴヤなどの名画が飾られています。
カテドラル内にはコロンブスの墓があり、
当時のスペインを構成した4つの王国、
カスティーリャ、レオン、ナバラ、アラゴンの国王が
柩を担いでいます。
柩の中にはコロンブスの遺灰が納められているそうです。
そのカテドラルに付設されている鐘楼がヒラルダの塔です。
高さ98mのこの塔が街の中心で、
街のあちこちから見えるので、迷いそうになったら目印にするといいそうです。
この塔は12世紀のイスラム建築で、もとはモスクのミナレット(尖塔)でしたが、
展望台のある高さ70mまではほぼオリジナルで、
その上の鐘楼部分を16世紀にキリスト教徒が付け加えました。
塔のてっぺんには
「信仰の勝利」を象徴する青銅の女性像が飾られていて、
風によってくるくる向きを変えることから、
ヒラルダ(風見鶏)と名付けられました。
下から見れば小さく見えるこの像も、高さ4m、重さは1288Kgもあるそうです。
展望台のある高さ70mまではほぼオリジナルで、
その上の鐘楼部分を16世紀にキリスト教徒が付け加えました。
塔のてっぺんには
「信仰の勝利」を象徴する青銅の女性像が飾られていて、
風によってくるくる向きを変えることから、
ヒラルダ(風見鶏)と名付けられました。
下から見れば小さく見えるこの像も、高さ4m、重さは1288Kgもあるそうです。
スロープが設けられています。
これは当時、馬に乗ったまま上ったためで、
私達見学者もこのスロープを上って行きました。
展望台からはセビーリャの街が360度見渡せます。
ロッシーニの「セビリアの理髪師」の舞台となった街。
街をぶらぶらと歩いてみたかったのですが、
カテドラルの見学のみで終了となりました。
このセビーリャまでがアンダルシア地方で、
ここから飛行機に乗って
一気にバルセロナへと飛びます。
私達のツアーも終わりに近づき、
後はバルセロナとモンセラット(モンセラート)を残すのみとなりました。
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