2016年7月4日月曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(5)サンチャゴ・デ・コンポステーラ Santiago de Compostela

6月8日はゴゾの丘から
サンチャゴ・デ・コンポステーラに行き、新市街のホテルに宿泊しました。

翌日は9時にホテルを出発して
今回の旅行で私にとって最大の目的地である大聖堂に向かいました。

その途中アラメダ公園に寄って公園から大聖堂を眺めてきましたが、
大聖堂のある旧市街は1985年ユネスコの世界遺産に登録されています。

アラメダ公園から朝靄に煙るカテドラルを望む 2016.6.9

旅行中晴天の日が続いていた北スペインですが、
肝心のサンチャゴ・デ・コンポステーラは曇り空。

9世紀に建てられた小さな教会は増改築を繰り返し、
11世紀から13世紀にかけて
スペイン最高のロマネスク様式の大聖堂 Ctedral として完成しましたが、
16世紀から17世紀にかけて外観がバロック様式に改められました。

大聖堂は現在修復工事中でファサードの一部は覆いがかけられていましたし、
巨匠マテオ作の華麗な「栄光の門」も工事中で
その姿を見ることができませんでした。

でも良いこともあります。
今年はカトリックの特別聖年で
いつもは閉まっている「免罪の門」が開いていました。

巡礼の最終目的地 サンチャゴ・デ・コンポステーラのカテドラル

「聖年」とは
西暦1300年に始まったカトリックの行事で、
この年にローマに巡礼すると特別な赦しを与えられるとされました。
当初は50年に一度でしたが、
現在は特別聖年を除き、25年に一度です。
近年では世界中で指定された教会がこの巡礼の対象となっています。

サンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂では
聖ヤコブの日7月25日が日曜日と重なる年も聖年とされます。

現在の教皇フランシスコが
2015年12月8日から2016年11月20日までを「いつくしみの特別聖年」と定め、
ローマのサンピエトロ大聖堂の「聖年の扉  Porta Santa」はじめ、
世界中の「聖年の扉」がある教会で門が開かれます。

「いつくしみの特別聖年」のポスター・・・カテドラルのあちこちに張ってあります


キンターナ広場に面している「免罪の門」

それで
サンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂でも
「免罪の門 Puerta del Perdon =聖なる門 Puerta Santa」が開かれたというわけです。

私達もこの「免罪の門」くぐって聖堂に入っていきました。

サンピエトロ大聖堂の装飾豊かな門と違い、
こちらは素っ気ないほどシンプルな門ですが、
めったに入れない門ですので、この日に来られて良かったです。

私達も「免罪の門」通って聖堂の中へ


金色に輝く彫像や装飾に囲まれるようにヤコブの像がある主祭壇

大聖堂に入ってからは
主祭壇裏の階段を上って聖ヤコブの像の背中に触れてきました。
そして祭壇横にある階段を下りて地下墓地 Cripta に行きました。
聖ヤコブとその二人の弟子が埋葬されています。
聖ヤコブの棺は銀です。

どちらも私達が訪れた時は人が少なくて並んで待つこともなかったのですが、
少し後にその前を通った時は沢山の人が列をなしていました。

聖ヤコブと弟子が埋葬されている地下墓地

12時の巡礼者のミサに参加するため
ボタフメイロが良く見える場所に添乗員さんが案内してくれました。
11時頃席に座り、ミサを待つ間に添乗員さんが2~3人ずつカテドラル内部をガイドしてくれます。

ミサの始まる12時近くになると教会内は
巡礼者や私達のような旅行者でいっぱいになり、立っている人が沢山いました。

ミサは当日参加している巡礼者の国の言語で進められ、
この日もイタリア語やフランス語など数か国の言葉で述べられました。
日本語はありませんでしたので、日本人の巡礼者はいなかったのでしょう。

ボタフメイロの準備・・・右側奥が主祭壇

ボタフメイロとは銀色の巨大な香炉のことで、
主祭壇手前の交差廊のドームから吊り下げられ
ガリシア語で「煙を吐き出すもの」という意味だそうです。
高さ1.6m、重さは80Kg もあります。

ボタフメイロ

この香炉に40㎏の香と炭を入れて焚き、
下から8人でロープを引っ張って振り幅を大きくしていき、天井に届くほど振れていきます。
それを座っている席のすぐそばで見ることが出来ました。

ボタフメイロが使われだしたのは11世紀頃と言われ、
大聖堂に辿り着いた巡礼者は疲労し不潔な状態の人が多く、
その臭いを消すために、香を入れて焚きだしたのが始まりとされます。

始めはゆっくり前後に振られていきます


天井近くまで振り上げられます

お香の匂いが教会を満たし、煙がうっすらと周囲を覆います


ミサの前後に
カテドラル博物館、聖遺物の祭壇などに寄りましたが、
博物館ではルーベンスやゴヤの下絵によるタペストリーを見、
人物の表情がゴヤらしいと思いました。(撮影禁止でした)

博物館のバルコニーから赤い屋根の町を見下ろす


博物館のバルコニーからオブラドイロ広場を見下ろしますと、
四方八方から石の道が延びています。
その道は広場の中央で一か所に集まり、巡礼街道の終着点となっています。

ここに辿りついて
大の字に寝転がる巡礼者、抱き合う人、交互に記念撮影する人たち、
目的を達成した人達の心はいかばかりのものでしょう。

オブラドイロ広場・・・中央左側、石の道が交差する所が巡礼街道終点 
右上北側パラドール 手前右東側カテドラル


巡礼街道終点を表すホタテ貝のシンボル


さてここで
サンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼の歴史と
現在の様子について記しておきたいと思います。



キリストの死後、
イエス・キリストの12使徒の1人であるヤコブ(スペイン語名サンチャゴ)は
スペインでキリスト教の布教活動をしていたが、
紀元44年エルサレムに呼び戻され、その地で首を切られて殉教した。
キリストの復活を知っているユダヤの王はヤコブの復活も恐れ、
彼の遺骸を埋葬することを許さなかった。

彼の死を悼んだ弟子たちは彼の遺骸を舟に乗せ、
風の吹くままに任せたところ、ガリシアの海岸にたどり着いた。
その舟はそのまま川を上りヤコブの遺骸は行方不明になり、
長い間その存在も忘れ去られていった。

813年に星の光に導かれた羊飼いがヤコブの墓を発見。
その墓が見つかった場所にアルフォンソ2世が教会を建立し、
コンポステーラ(ラテン語の Campus Stellae =星の野)と名付けられた。

というのが一般的な民間伝説で
墓の発見者やコンポステーラの名前の由来には諸説ある。

サンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼の記録は
951年のものが最古で
当初ガリシア地方に限定されていた巡礼は
次第にピレネー以北に拡大され、
11世紀にはヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まり、
最盛期の12世紀には年間50万人を数えた。

その後さまざまな事情で巡礼は大きく減少し、
1980年代フランコ政権が崩壊した後、本格的に復活する。

現在巡礼者数は毎年20数万人に上る。
巡礼者の多くは徒歩(全体の約86%)で、自転車を使う人や
少数ながら中世のように馬やロバを使う人もいる。

信仰のためだけではなく、観光やスポーツ、
単なる目標達成のために歩く人もいる。

巡礼者は様々な道を辿るが
ピレネー山脈から終着点まで780~900㎞の距離で
一日20~25Km歩くとして、すべて徒歩だと1か月以上かかる。

サンチャゴ・デ・コンポステーラに到着すると
巡礼証明書(コンポスーラ)が貰えるが、
貰える条件は
徒歩100Km以上、自転車で200Km以上。

「免罪の門」の上のヤコブ像

2004年から2015年までを集計したデータによると、
巡礼の月別では
8月が一番多く、全体の約20%、一番少ない月は1月で全体の0.3%

年齢別
1位30~60歳未満50.1%、2位30歳未満36.2%、3位60歳以上13.7%

男女別
男性56.2%、女性43.8%

職業別
1位会社員20.9%、2位学生19.3% 技術者、自由業に続いて5位退職者11.1%

国別では
1位スペイン54.7%、2位ドイツ7.7%
イタリア、フランスが続き、日本は25位で0.4%、12年間で7,747人。


巡礼の道は
4つの精神的な区間に分けられると言います。
①自分を振り返る ②自分を突き詰める ③自分から離れる ④再生する

この区間を通して巡礼者は多くのものを得て行くことでしょう。


大聖堂見学の後は自由行動となり、
私達はホテル近くのスーパーマーケットで買い物をしていったんホテルに戻り、
再度旧市街に行き、夕食を頂きました。
場所は夫が事前にネットで調べておいてくれたバル Bar です。

新鮮な魚介類が美味しいと評判のお店で
スペインの夕食には早い7時に行きましたが、
座りたかったカウンターはいっぱいで、ショーケースが見える壁際の席に座りました。
カウンター越しにショーケースを見ながら
新鮮なアジやマテ貝を選んで調理して貰いました。

どれも美味しくて安く、
海に近いサンチャゴの美味を堪能できました。

サンチャゴ・デ・コンポステーラ旧市街のバル
美味しい海産物を頂きました 2016.6.9  夜7時08分


次回はポルトガルに入国です。



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