ペルージュは城壁に囲まれた小さな町で、出入り口は2か所しかありません。
ローマ帝国の植民地としてイタリアのペルージャの人々が入植したことからペルージュと呼ばれるようになりました。
14~15世紀には織物工業で大変栄えた町も、19世紀には機械化に立ち遅れ、交通の便の悪さも手伝って衰退の一途をたどります。
20世紀初頭には廃墟のようになっていましたが、1910年、崩壊寸前のペルージュ城壁を救うため保存委員会が設立され、現在は修復も行き届き、中世の素朴な庶民の町がよみがえっています。私たちは町の中央のテュエル広場にあるカフェでお昼を食べましたが、そこはかつて魔女とされた人を火刑に処す刑場だったそうです。
中央に菩提樹の大木がありましたが、1792年に植樹されたもので、「自由の木」と呼ばれています。
こんなステンドグラスの窓がありました。ところどころに色ガラスがあるだけで、何の変哲もない窓も全く違う表情になりますね。
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